良いものを高く売りたい、良いものを安く買いたい
僕は割と作り手でもあり消費者でもあるんですが、まあ最近ETに紐付けて書き過ぎな気がしているので、今日は食べ物のことについて書きたいと思います(まあ食べ物の話もよくよく書いてますが)。
例えば、農業だと皆で作って確実に売って皆で頑張って日本の農業界を支えましょう、という仕組みだったわけですよね。ただ、それって実は支えるに十分なシステムではなくて、というか、そもそも需要に供給が見合ってない時代なら1つの大きなシステムで国という構造体を支えられたかも知れないですけど、需要を供給が上回ってしまえば平等なシステムはジリ貧なわけです。
良いものを高く売りたい、って誰しも思うことだと思います。
良いものを安く買いたい、とも誰しも思うことだと思います。
例えば一時期雑誌なんかでも特集が組まれた「お取り寄せ」ブーム。たまの贅沢としては、良いものを高く買っても良いし、昔より企業間の贈答品の行き来って減ってると思いますけど手土産的なこともあるだろうし、まあ僕お客さんのところ以外はあんまり頼まないんですけど、カタログギフトとかもらうと選ぶことが楽しかったりします。後は観光行ったりしたらちょっといいもの買ったりもしますよね。
一方で日々食べるもの、ここで良いものを買おうと思うとなかなか難しい。例えば調理器具とか食器なら良いもの買って長く使おう、なんだけど、それがイニシャルコストだとしたら、食べるものってランニングコストですよね。そこで良いもの買おうと思うとなかなか厳しい。
特に都心だと地場の食べ物とかもあるにはあるんでしょうけど少ないだろうし。
今、結構良いものを作っている人達って、そんなにスケールさせようとしているのではなく、それなりに作ってそれなりに売るって仕組みで成立していて、農法にこだわったり環境にこだわったりするのはコストがかかるし、お金だけじゃなくて時間も手間もかかりますよね。一方で、本当に売れるのかどうかという日々のリスクもある。
一時、すごく「トレーサビリティ」っていう言葉が謳われましたけど、今回の原発のこととかあって、それは重要なんだろうけど、一方で「安心と安全」に対する生活者の考え方って、どうも「トレーサビリティ」だけでは担保できない状況になって来ている気もします。
考え方的には2つあって、1つはシステムで農家のコストを吸収してあげる。もう1つはシステムで農家のリスクを吸収してあげる。それが結果的には生活者のコストとリスクを軽減することになると思うんですよね。
それがおそらく仲介業ってことの役割で、そんなことは当然JAがやっているのだろうし、生協とか、らでぃっしゅぼーやとか、大地を守る会とか、Oisixがやってるんだと思います。なんだけど、それがしばしば日々の暮らしと噛み合わなかったりするんでしょう。
多分その、コストの吸収の仕方と、リスクの吸収の仕方に工夫の余地がある気がしていて、だって、良いもの作りたい人がいることは良いことだし、良いもの食べたい人がいることは社会にとって良いことなので、だからその辺を単純に圧縮するんじゃなくて、「吸収の工夫の余地」みたいなことを考えていきたいと思ってるんですよね。そういうことが別の畑から農業や漁業や畜産業にアプローチする価値になってくるんじゃないのかなと。
とりあえず、そんな整理の仕方をしながら、最近はモゴモゴ考えてるんですけれども。

加藤 康祐 / 企画・設計
プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。
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フリーランスとして働き始めるってどういうことだったのか?フリーランスとして働くってどういうことなのか?フリーランスが目指すことってなんなのか?5年間の自分の経験から書きました。(2010年執筆)