貨幣経済、評価経済には乗れない感じがしたので寄与経済
@gamella が面白いこと書いてました。
評価経済社会を議論するときに気になるポイント – Future Insight
それに関しての僕のささやかなる反抗がこちら。
@gamella 記事読んだんだけど、なんか爛々とソーシャルサイコーみたいなテンションにはなれなくて、割と山奥にこもってモノ作って、大事にしてくれる人とコミュニケーションとりつつ、たまに酒飲んで与太話に花咲かせて、寝床で小説読んでるくらいが幸せだな、と思った。超個人的な感想。
いやあ、僕も本当は貨幣経済とか評価経済とか語りたいわけですよ。まあただ、あまり語り得る言葉も持ち合わせていないのと、最近、色々自分のこれまでに考えてきたことと最近学ばせていただいたことが、うまくクロスオーバーして来た感じがしていて、ここらでパッケージ化しておきたいなと。
寄与経済とでも名付けましょうか。「寄与」ってちょっとニュアンスとして難しい日本語ですが、英語で言うと、多分コミットメント、とかがそれなんではないかと思います。必ずしも社会起業家的な話をしようとしているわけでもないし、奉仕の精神を説こうとしているわけでもないです。ばっくり言うなら「人間、皆、時間給」みたいな話なのです。
よく引き合いにだす話として、野菜と靴修理という話があります。近所で取れた野菜の代わりに、靴を修理してあげる、みたいな商売が理想だよね、という話を昔友人としたんですね。これ物々交換という意味では野菜と靴修理は等価という「見立て」なのだけど、もうちょっと考えるとちょっと違うんですよね。野菜はある意味のマスプロダクションのフレームの中で取れるなん万個のうちのいくつか。それに対して靴修理は完全にオーダーメイド対応での一足。クオリティはそれぞれ最高のものであるべきなんだけど、それ前提で、前者はたくさんの時間をかけているけど頭数で割っていて、それに比べて後者は短い時間だけどそれ一つである、ということでディールが成り立っているわけです。
とか考えると、それだけでも、実は結構高度な交換が行われていることがわかる。
最近、熊本の農家さんを視察する機会があって(というか遊びに行かせてもらった感じ)、色々お話をうかがっていると、高付加価値の商品を、惜しみない手間暇をかけて、小さなパッケージで、ダイレクトな流通で商売している。これ、農業ということを考える上で、すごく時間単価を高めているし、お客さんに対するコミットメントを高めていますよね。そして美味しいし、安全にも十分に配慮されている。
僕もそうありたいんですよね。つまるところ。僕もこうでなくてはいけないと思った。高い品質を手間暇かけて適切なサイズ感でダイレクトに届ける。すごく有名になろうというわけでもなく、すごく売りまくろうでもなく、すごく販路を広げたいというわけでもない。ただただ自分の個としての能力を持って、適切なサイズ感のエコシステムを作る。これだなあと。
だから、自分が最大限のコミットメントをするためには、どれくらいのスケールの間口が適切なのか、という話ですよね。それは僕の場合、どれくらい業務内容に幅持たせるかとか、どれくらいの数のお客さんと付き合うのかというところなんだけど。これ、作るのはトマトと米といちご、だけどJAS有機で減農薬・無肥料にこだわる、みたいな話と実はとても近い。
うちも色々やっているようではありますが、所詮一人なので、首突っ込めるところや、そもそも僕が商品価値を持てる分野って限りがありますし、猫も杓子も、何でもやります、でもないです。実際。
一方で、こういう事例のあげ方は正当がどうかわからないのですが、最近ちょっと思っているのが、マスマーケットで高付加価値ってやり辛い世の中になって来ているんじゃないかなあと思うんですよね。家電メーカーの不振みたいなことを見ていると一番感じるのはそこで、高付加価値、って言っても、生活者がマスプロダクションに求めているところってそこじゃなくなっている気がしますよね。俗に言うコモディティ化。今まで言っていた「高付加価値」と呼ばれるものによって、勝負していくのは、なかなかに困難な時代になって来たんだと思うんです。
でもね、「高付加価値の商品を、惜しみない手間暇をかけて、小さなパッケージで、ダイレクトな流通で商売」っていうのはまだまだ成立するんですよ。極端にスケールアウトさせなくても済むものであれば。それはスタートアップのマネタイズの話とかともちょっと違って、ある意味レガシーっていうか、オールドエコノミーなんだけど、対象を絞り込んでいけば行くほど、人はそこにコミットをより強くできるはずなんですよね、理論上。スペックが十分で、ニーズにマッチングしていて、サイズ感が適正であればディールする。どこに誰がコミットするかが価値になる。
これって、ニッチマーケットを攻めるみたいな話じゃないです。単純に、対象にいかに深く踏み込むか、って話です。それって結局、個人技の能力給の世界なんじゃないの?って考え方もありますけど、それはそうでもあるんだけど、能力を評価されて値段がつくんじゃなくて、能力が(擬人化しますが)どれくらい踏み込んだかが価値になる。これが寄与経済、みたいに考えたんですね。だから、構造的には冒頭に言った通り、ばっくり言うと、能力給というよりは、むしろ時間給の概念に近くなる。
だから、全く以て熊本の農家さんたちとか素敵だし、ETもそんなに捨てたもんじゃないw。
これってまあフリーランスのある意味では当たり前の考え方なのかも知れないのですが、 @gamella が最後に書いていた一文がどうにも気になっておりまして。
そもそも評価経済社会は明らかに貨幣経済社会よりも生きていける人が少なそうなのが特に気になる。
有名税で食っていく、みたいなことよりは、僕はこっちの方がリアリティあるんじゃないかな、そうなんじゃないかな、どうなんかな、とか思ってるんですけど、どうですかね。

加藤 康祐 / 企画・設計
プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。
是非、フォローしてください!
Twitter / Instagram
売り上げランキング: 14,705
100円
フリーランスとして働き始めるってどういうことだったのか?フリーランスとして働くってどういうことなのか?フリーランスが目指すことってなんなのか?5年間の自分の経験から書きました。(2010年執筆)