2011/11/24

今、日本が面白い

などとタイトルを記事につけるだけで、不謹慎な感じすらし得る日本の現在ではありますが。まあ、僕、割と日本好きなんですよね。高校時代にアメリカ行った時も、総じて感想と言えば「よく日本が見えるようになった」みたいなことだったように思いますし、就職活動の頃にも「これから日本が面白いんだと思うんです」みたいなこと熱弁してましたし。割とその辺りはこの年になっても揺らいでないかなあという気がしていて、でも別に日本の状況を楽観視しているわけでも、というか、楽観できるような状況ではないと思っています。

ただ、例えば僕の生き方働き方を考える時に、もっとフリーランサーが活躍できる国へ、とか、もっと景気が良い金回りの良い国へ、とか、もっと世界の最先端事業が集まっている国へ、みたいなことって、あんまり強く惹かれることがなくて、ことあるごとに生き方や働き方を語る時に僕は「やりたいことをやりたいようにやる」ってフレーズを使いますけど、一方で、もう一つとても大事なことは「どこからどこまでを面倒見るか」という話なのです。

本当はうちは客商売やっているので、「面倒見る」なんて言い方をしちゃいけないのですが、テーマ的に敢えてそういう言葉を使わせていただきます(わかりやすいので)。

どこからどこまでを面倒見るか、って問いは結構大事なことだと思っていて、就職先決めるのだって「どこからどこまでを面倒見るか」を決める作業、と言っても良いのではないでしょうか。食品メーカーに勤めれば、主としては食べ物のことを面倒見るのだろうし、家電メーカーに勤めれば例えばリビングルームのことを面倒見るのかも知れないなと思います。実際は大手の企業に勤めれば、派生業務や異業種参入、高度な分業と組織制度で、あらゆる可能性があるんだろうと思いますが、とは言え、自分が「どこからどこまでを面倒見るか」ということを見定めるのはとても大事。それって、社会人としての自分の社会へのコミットメントを見定めるって作業ですから。

最近、ノマドの話とか、博報堂を辞めた人の話とか読んでて感じたのは、なんか「やりたいことをやりたいようにやる」ことの議論はあるんだけど、何だか「どこからどこまでを面倒見るか」って話がガッポリ抜け落ちている感じがしていて、もし若い人がそういうことを考えなくなっているようなら嫌だなあと。「就活」って言うと悪しき慣例みたいですけど、「どこからどこまでを面倒見るか」ってのは、社会生活を営む上での根本じゃないかと思うんですよね。

さて翻って自分の話ですが、あんまり外の国に今行きたいと思わないのは、そういう「どこからどこまでを面倒見るか」ってことを考えた時に、もっとフリーランサーが活躍できる国、とか、もっと景気が良い金回りのよい国、とか、もっと世界の最先端事業が集まっている国、みたいなベクトルはあんまり関係ないと思うからですよね。むしろ、Experience Transportersという活動を通して、僕はせっせと「自分が面倒見れる範囲」を少しずつですが拡張してきたわけです。僕の価値観として、そういうことの方が大事なんですね。

例えば、今も継続的に震災復興に取り組んでいる人、とか、若い人があまり好まない農業を何とかしようとしている人、とか、インハウスからフリーランスへの一歩を踏み出そうとする人とか、ちょっと自分の周りを想像しても色々な人が思い浮かびますけど、なんかそういう「どこからどこまでを面倒見るか」ってことが覚悟として自分の生き方や働き方と強く結びついていることって、すごく大事なことだと思うし、それこそ活力になるんだろうと感じます。そういう意味ではETは割と明確ではない、ですけどね。目に映る人、手の届く範囲、同じ想いを携えて仕事ができるということで、結びつきが続いて来ているので。

今、日本にはたくさんの課題があって、僕が手の届く範囲でも課題は実は山積していて、もうそれは突破できそうなところから手をつけていくしかないのだけれど、そういう日本にあって、損得勘定だけで考えると、年金だ雇用だ増税だ介護だ、やってられねえ、ってなりますけど、「どこからどこまでを面倒見るか」って考えると、僕の限られたリーチでも何か一助になることが、それこそ「やりたいことをやりたいようにやる」というスタンスを貫きながら、できそうな気がしていて、今、日本が面白い、と思います。

Patriolismというか、日本という国に対する愛国心があるかと問われれば、あんまり胸張ってありますとも言えませんですけど、日本という国に少なからずの甲斐性は働かせている、そんな感じなんでしょう。

だから、自分の生き方や働き方を選ぼうとするのであれば、きちんと「どこからどこまでを面倒見るか」ってことを考えた方が良いんだと思います。勿論、それだけでは物事は判断し辛いとは思いますけど、そういうど真ん中をしっかり考えておかないと、やりきれなくなった時とか、立ち行かなくなった時とかに、生きる意味とか仕事する意味が自分の手の内に掴み辛くなるんじゃないかと思います。それは単なる綺麗事ではなく、むしろ処世術かも知れなくて、自分の抱えるリソースで最大限の効果を得るには「やりたいことをやりたいようにやる」の一方で、「どこからどこまでを面倒見るか」ということを機能させていかないといけないんじゃないのかな、などと考えています。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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