コミュニティプロジェクトとしての自分
今日はTEDやってますねえ。実は友人がスピーカーで出ておりまして、本当はライブで見たかったんですが、今日ちょっと色々あり、 @taromatsumura のライブツイートのお世話になりつつ、こういう話をしているのかな?的妄想をしながら横須賀線に揺られておりました。
「越境者」としてのパーソナル・ヒストリー – 山本浩司 #TEDxTOKYO_yz 04
「自分が内容について不安を抱え込むのではなく、成果を周りの人と共有することで、成果や先の発展を共有できるようになる。コミュニティプロジェクトとして、自分や周りの将来を考えていけるようになった」
これ面白いと思うんです。昔は僕は割と自分を点として考えていて、劇場型、なんて言い方をしていました。
個人事業主の仕事は劇場型であるべき : kosukekato.com
けれども、Experience Transportersが育って来て、ET Luv.Lab.が始まって、加藤企画と称して不定期に酒を飲む輪もちょっとずつ広がってくる。そうすると、何か気が付くと、「あれ、加藤君、あそこともなんかやってるの?あっちともなんかやってるの?」てなことになってくる。「何、その芋づる」、と言えばそれまでなんですが、さっきの山本さんの考え方は確かに良いよなあと感じました。
「自分が内容について不安を抱え込むのではなく、成果を周りの人と共有することで、成果や先の発展を共有できるようになる。コミュニティプロジェクトとして、自分や周りの将来を考えていけるようになった」
ノマドとかフリーランスとか個人事業主とか、自分のワークスタイルことについて考えるのだって、結局、自分のためなんですけど、もっと言うと、周囲にとって自分はどうあるべきか、とかクライアントやパートナーにとって自分はどうあるべきかって 考えることだと思っていて、例えば、ノマド(遊牧民)という文脈で行けばトライブ(部族)なのかも知れないけど、そういう緩やかな結びつきの成長って意識するところだったりします。
なまじ、企業に所属していないがゆえに、むしろ、というべきか。
結局、自分ということだけを考えていては何も完結しないし、というよりはそもそも何も始まらないので、何かを考える時っていうのは、自分とその周辺に対するアプローチ、として考えている。で、それをコミュニティプロジェクトとして捉えて形作ってのは良いと思うんです。究極的に「なんかあの辺楽しそう」という状況を作るのが、僕が今そこにいる意味でもあるわけで。
今回のTEDのテーマは越境者、というようなことらしいです。山本さんはイギリスでアカデミズムの世界で活躍されておられて、見事に越境者なんだろうと思うんだけど、翻って自分はどうかなあと。多分、自分のことに関しては、僕実はすごく堅実な選択をして来ていて、境目をあっちこっちチョコチョコ、ある意味、チマチマ広げてきて今がある気がしますね。あんまりダイナミックな大転換、とかこれまでを投げ打って心機一転、みたいなことしてない。
そう、最近の自分と自分の周辺をコミュニティプロジェクトとして考えた時に、ある意味、軸がぶれないことを頼られる部分もある一方で、もっとダイナミズムや斬新なチャレンジを望まれる部分もある。なんか今年は仕事がうまく機能しているだけに、そういうことを自分でも考えることが多い気がします。
まあでも両方やらなきゃいけないんですよ、当たり前ですけど。僕が守るべきものはあるし、僕が攻めるべきところもあるし、僕が抱えなければいけないことはあるし、僕が捨てるべき何かもまたある。
ただ、そういうことを選別しながら前に進んでいく過程の中で、個としての自分の成長を考えるのではなく、コミュニティプロジェクトとして自分が位置する周辺を醸成する目的で個としての自分の動きを考える、みたいな視点で、これからもっとショートスパンで色々決めていかないといかんなあ、そんなことをちょっと考えたのでありました。

加藤 康祐 / 企画・設計
プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。
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フリーランスとして働き始めるってどういうことだったのか?フリーランスとして働くってどういうことなのか?フリーランスが目指すことってなんなのか?5年間の自分の経験から書きました。(2010年執筆)