児玉龍彦さんを観て考えたこと
先日、YouTubeにアップされた動画は衝撃でした。僕の児玉龍彦さんへの印象は「怒れる人」。あたかも、世の研究者、いやさ、国民の怒りを、ただ感情に任せるのではなく、自分がこの目で確かめた除染活動の現場の状況と、長年に渡って培ってきた深い専門的見識は、真摯でありつつも辛辣なメッセージで、ただ否定するだけでなく、批判するだけでなく、自らが具体的方策を持って、可能な限り僕らにもわかりやすい形で提示された、という意味で、ただただ人として感化されました。
その厚生労働委員会での質疑から数日。TLで児玉龍彦さんと津田大介さんが対談しているというのを見かけて、慌ててUstreamにアクセスしました。先日の「怒れる人」の印象とは全く意を異にして、穏やかな口調で、笑みを絶やさず、しかし一つ一つの言葉を丁寧に発する様子は、さながら皆に慕われるベテランのお医者様のイメージで、作業を止めて聴き入っていました。
その中でも強く心に残っているのが、「調査なくして発言なし」の言葉でした。津田さんに質問をされる中で、児玉さんはわからないこと、まだ考えてないこと、自分がその点においては意見を持ち合わせていないこと、に関しては、はっきりとそれはわからないということをおっしゃってました。それは、会見で問い詰められて「私が意見を言う立場にはないので」と話をはぐらかすやり取りとは全然異質のもので、おそらく、前述の「調査なくして発言なし」から来ていることなんでしょう。
以前、『思考の補助線』という茂木健一郎さんの著書で「世界の全てを引き受ける」という話があって、これはアカデミズムの世界においての強烈な気概だろうと思っていて、ことの是非は別として好きな考え方では今でもあるのですけど、今は平時でなく有事ですし、そういう時に児玉さんのスタンスというのは非常に適切で、アプローチに関して言えば、自分が確たる覚悟を持って修めてきた見地に則ったところで発言する、というのは極めて正しいと感じます。
残念ながら、311以降、多くの方が識者としての見地を求められていて、その「識」って本当は万能とは程遠くて、むしろターゲットを絞ってきたからこそ深められた見地のはずなんだけど、「聞かれたら、何かを答えなければいけない」という状況下において導きだされた返答が、しばしば僕のような一般レベルであってもチグハグに感じることは確かだったと思います。
児玉さんがおっしゃっていた「それぞれのやれることをやってください」という話って、あの温和な口調で笑みを交えながら言われるとホッと安心しますが、一方でこういうこともおっしゃっていました。「自分が世の中に対して何の役に立つか考えて欲しい」ということ。これは言わば車輪の両輪で、言い換えるならば、安心と不安の天秤で、行動と思考の振り子で、多分、すごくフラットに考えると当たり前のことかも知れないけれど、でも一方でこれは本質的かつある意味の厳しさのあるアドバイスなのかなあと感じます。
作れる人は作ればいいし、歌える人は歌えばいいし、踊れる人は踊ればいいし、走り回れる人は走り回ればいい。以前、ET Luv.Lab.で諏訪大輔君にインタビューした時に思った割と素直な気持ちですが、同じようなことをああいう方がおっしゃっていて、だから自分の考えの肯定材料になるわけじゃないんだけど、あれくらい人を感化できるくらいの屋台骨を、あれくらいの年頃には、是が非でも、と思います。
本当は今日の対談は南相馬での除染活動を通じた、有益な経験談と気付きに関するお話もあったし、できる限り現地の方に住民判断できるための材料を用意するのが仕事、というお医者さんらしいクランケ本位の示唆的なお話もあったし、学びは大きかったのですが、Ustreamの録画やテキストがインターネットを通じて届くべき人に届くことに期待しつつ、まずは個人として、というか人間として感化された部分について認めてみました。
追記:
録画が公開されてますよ。
Video streaming by Ustream

加藤 康祐 / 企画・設計
プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。
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フリーランスとして働き始めるってどういうことだったのか?フリーランスとして働くってどういうことなのか?フリーランスが目指すことってなんなのか?5年間の自分の経験から書きました。(2010年執筆)