2006/1/3

インターネット、免許制

爆笑問題の番組で、面白いことやってました。「インターネットを免許制にしてはどうか?」ということです。免許という形を取らずとも、インターネットに関するレギュレーションは、色々な形で試みられているとは思うのですが、ペアレンタル・コントロールとかね、そんなに普及してないんじゃないかなというのが印象。欧米ではもうちょっと進んでいるみたいだけど。

主な争点は言論の自由の抑圧みたいなところだったかなあ。一方で、匿名であるがゆえに、しばしばインターネット上で人は受け手の痛みを感じずに時に攻撃的になったり暴力的になったりするのが危険というような議論で。これね、戦争を知らない世代が戦争のことを議論して果たしてどれだけリアリティがあるか?ということと同じような気がするのですよ。高校生くらいからインターネットを始めた世代が、果たして小学生からインターネットを触っている世代の心象風景を想像できるのかという。

僕一つ思うのは「本当に頼れる人には本当に頼らなければいけない時まで頼るな」というような話の類型でして。遅かれ早かれインターネットにある程度、頼らなければ生業を営んでいけない社会にはなってきておると思うのですよ。インターネットというのはそれなりに頼りがいのあるツールの一つにはなってきておると思うんです。でもね、果たして小学生のうちから、そこに頼るような生活をするべきなのかどうかと思うと、むむむ、という気もするのですよね。

インターネットで事足りてしまうことって多いと思うのですが、アメリカ何かの例で言えば、数学の授業やテストに電卓持ち込んでいいかどうか、という話だったりして。情報を探すという意味性においても、図書館で本を探すとか、詳しい知人に聞くとか、そういうことをおざなりにしてインターネットというものを覚えてしまっていいのかなあという疑問はあります。インターネットが全てと子供に思わせちゃいけませんよね。だって、なか見検索が始まったって、やっぱり本のほうが断然インターネットよりクオリティの高い情報が掲載されているわけだし、生きていくために自分のブレーン陣を募っていくということは自分を育てていくことと同じくらい重要でしょう。

免許制と聞いてぴんと来たのは、昨今の社会情勢を鑑みるに、車と同じくらい、インターネットというものが個人の生命を危険に晒す可能性が一部で出てきてるんだろうなということです。そりゃ割合としては大したことのない話かも知れないですが、車の免許取ったって暴走行為する人はいるわけで、一方で教習所で聞く交通事故のおぞましい話が安全運転心がけようという気にさせなくもないわけで(教習所って交通事故がその人の人生をその後どれくらい狂わせるかみたいな話も教官によってはしますものね)、そういう意味では免許制も悪くないのかなあと思いました。

でもやっぱり子供の時からインターネット触ってないと、見えて来ないことってあると思うんですよね。だから、5年後くらいにこういう議論が持ち上がってくると、今の状況からは想像し難いですが、意外と意味があるのかなあとか思いました。

あ、ライブドアの乙部氏が反対意見に回っていて「やっぱり、そうか」と思いましたが、ちと的外れなことを言っておりました。「インターネットに免許を必要とするのは、家の電話に免許を必要とするのと同じこと」、ってそういう議論じゃないでしょう。逆にインターネットの意味性を矮小化してませんかね。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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