2006/12/2

楽しむための努力

「与えられていることへの慣れ」「用意されていることへの慣れ」というのはとても危険なことだと思います。今でも頻繁に学生とはラグビーをしたり遊んだり話したりする機会に恵まれているのですが1年生時分の子と話していてちょっと危ういなと感じるのはそういうところだったりします。幸いにして後輩達は、大学4年間を通じて、「与えられていることへの慣れ」「用意されていることへの慣れ」を打破して「楽しむための努力」を覚えて社会人へと育っていきますけど。

よくテレビゲームの弊害に、「いつでもリセットできる」ということが子供の無責任や無頓着、更には命の重みを軽んじる傾向というようなものに結びついているという議論がありますが、僕はゲームがそこまで人の持つリアリティを混迷させるようには思いません。むしろ、ゲームという用意された玩具、用意された楽しさ、というものに慣れてしまうがゆえに、「楽しむための努力」を忘れてしまうという危惧を感じます。

小学校3、4年生の担任の先生がとても粋な方で、よく学校の裏山に生徒を連れて行って、竹で遊び道具を作ることを教えてくれました。また、「○の学習」という授業があって、「○」には何を埋めてもいいから、自分の好きなことを勉強・研究して発表するように、というとても自由度の高い授業がありました。

学校教育とは用意されたカリキュラムに沿って、用意された知識と教養を身に付けるものです。それが教育と言われればそれまでですが、常に受け身な姿勢で勉強というのは教わるものだということが習慣化すると、大学のような自由度の高い環境に置かれた時に、一体自分は何をそればいいのかということがわからない、という学生にしばしば出くわします。

本来的には勉強は楽しいもので、勉強を楽しむためには精一杯時間を惜しまず努力するというのが、向学心に燃える学生のあるべき姿ですが、受験と卒業を繰り返してきた人は、授業の単位をどうやって取るかというところに帰結して、なかなか「楽しむための努力」の必要性を体感できません。きっかけは「何かしなくちゃ」という危機感でもいいと思うのですけれども。

社会人ともなれば、「楽しむための努力」の重要性はもっと顕著でしょう。仕事は与えられてこなすもの、という考え方では仕事に張りは出ませんし、楽しむための努力ができなければ、継続的に仕事で能力を発揮していくこともできません。もしかしたら、若くして会社を辞める人が多いのは、それまでの人生で「楽しむための努力」ということを体得していないからかも知れません。

「楽しむための努力」は大切です。なぜならばそれは「生きることを楽しむための努力」に他ならないからです。その場その場を目一杯楽しんで、苦労はしても張りのある時間を過ごしていこうという試みがあれば、人生は自ずと楽しいものになるだろうと思うのです。

楽しむための努力は大変な時間と労力です。徒労に終わることもあります。それでも継続して努力すれば結果はついてくるものです。フジテレビが「楽しくなければテレビじゃない」って一時言ってましたが、「楽しくなければ人生じゃない」というくらいのつもりで、人が生まれた時から直面する「生きる」という命題に取り組まなければいけません。なぜって我々は「死ぬために生きている」のではなく「生きるために生きている」のですから。

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加藤 康祐 / 企画・設計

1980年1月12日生まれ。フリーランス歴15年。プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。学生時代にデザイン会社でWebデザインを経験。2005年よりフリーランスとしてキャリアスタート。これまでに個人から上場企業まで、100以上のクライアントとのプロジェクトを経験。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの編集・運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート等。趣味はラグビーと料理。Keep the head up, Bind tight & Stay low.

加藤康祐企画設計

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