便宜的な仕事の醍醐味と、実務的な仕事の醍醐味
例えば、「営業から納品まで一人でこなせる」とか、「成果物をアウトプットとして出せる」とか、僕の仕事の醍醐味として説明できると思うし、してると思うんです。だけど、最近、そういうことって多分に便宜的なことなんじゃないかなあと思うのです。
ちょっと解釈が難しいのですが、例えば振り返ったり立ち止まったり総括する時には上に挙げたことって正しいと思います。ある意味、人にも共感してもらいやすい内容なのではないでしょうか。ただね、やっている最中って、もう少しフェチズム的な感覚で回っていると思うんです。
キーボードを叩くとか、画面を凝視するとか、マウスを操作する、とかだと流石に突き詰め過ぎて、僕もそこまでストイックな偏愛は持ち合わせていないのですが、例えばコードを短くできたとか、1pxの狂いもなく綺麗に揃ったとか、美しいメールが書けたとか、気持ち良く打ち合わせできたとか、それくらいの按配で小さな充足が結構醍醐味としてそこにあるから仕事って回ってるんじゃないかなあと思うんです。
昼飯作ってて思うんですが、別に料理大好きってわけでもない僕が飽きずに昼飯作れるのは、必要に迫られてもありますが、むしろスゴイ短期的に成果が出るので(大抵、調理に10分くらいしかかけないですし)、すごくシンプルに成果物として出せて、その上、自分で味わえるというところにあります。
例えば、陶芸家が土をこねるのが楽しいとか、美容師が髪を切るのが楽しいとか、僕が冒頭に挙げたような大きな括りでの仕事の醍醐味ってあると思うのですが、一方で今挙げたような非常にプリミティブな部分での仕事の醍醐味ってあるんではないかと。
でしかも、土をこねるとか、髪を切るとか、その行為そのものだって十分奥深くって、突き詰めたり変化させたりする余地があるわけじゃないですか。それって営業にしろ、デスクワークにしろ、同じじゃないかと。ホチキスで書類を綴じる、とかだけだとさすがに厳しいと思いますが、小さくブレイクダウンした状態で日々の業務のモチベーションを回すためのスケールの仕事の醍醐味ってあると思うんですよ。っていうか多分、そうでないと辛い。
だから、髪は細部に宿るじゃないですけど、細部に宿らせるべき何かってのが、実は多分に実務的なもののような気がします。

加藤 康祐 / 企画・設計
プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。
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フリーランスとして働き始めるってどういうことだったのか?フリーランスとして働くってどういうことなのか?フリーランスが目指すことってなんなのか?5年間の自分の経験から書きました。(2010年執筆)