2006/11/8

天然と養殖、大人にとっての「食育」とは

11月11日は鮭の日です。「魚」に「士」が2つが「鮭」なので、11月11日は「鮭の日」というわけです。この1年、エスロードのナチュラルプライムサーモンを幾度となくいただき、鮭に纏わる様々な文化、背景に関するお話を拝聴していることも相俟って、食べ物とはかくあるべきと痛感しているところです。

しかし、「本物の天然物は美味しい」ということはわかっても、毎日美味しく安全で天然の本物だけを食べて生きていけるかというと、それは難しい話です。山村に住んで自給自足の生活を送るならそれもありかも知れませんが、残念なことに都市部で仕事をしている僕は住環境を「食」のためだけに変えることはできませんし、とは言え、現在の「食」がとても危ういものだということを知っています。

「LOHAS」という考え方は、そう言った都市部に住んでいる人の危惧感を煽るのに都合よく登場しましたが、最近では「セレブ的」みたいなものとごちゃ混ぜになって、何だか少しキナ臭い言葉になってしまったように思います。

一方で、僕も25歳を過ぎて、近しい人々も少しずつ生活にゆとりが出てきて、美味しいか美味しくないかだけではない、「食」への関心を持つ人が増えてきたように思います。ある人はオーガニックな食生活を選び、ある人は成人病予防のために食生活を改善する。こういったことはなかなか生活にゆとりが出てこないと、取り組めないことのようにも思います。

世にベジタリアンという言葉がありますが、ベジタリアンにも実は色々な種類があります。Vegan、Dietary Vegan、Vegitalian、Ovo-Lact Vegitalian、Lacto Vegitalianなどなど(詳しくは国際ベジタリアン連合を参照のこと)。一般人からしてみればベジタリアンとひとくくりにしてしまいたいところですが、それぞれ思想的にも理念的にも違うものがあればこそ、これだけ細分化されているのでしょう。

僕は「菜食主義」には馴染みそうにないですが、一つベジタリアンを尊敬するのは、ベジタリアンは少なくとも「食」ということに対して真剣に取り組んでいるであろうということです。そして、25歳を過ぎた今、僕も何かしら「食」に対して真剣な姿勢というものを見出さなくてはいけないと思います。

「LOHAS」が提起したことで大変重要なことが、「持続可能であること」だと思います。先ほど挙げたように、「本物の天然物は美味しい」けれども、それだけを選り好んで食生活を送っていけるかというと、そういうわけではありません。たまには美味しいものを口に運ぶことはできますが、普段の買い物はスーパーやデパートですし、回転寿司屋やファーストフードに立ち寄ることも多々あります。養殖物を選ばざるを得ない環境が、住環境としてあるのです。

こうなると期待すべきは「政治」なのかも知れません。例えば、養殖モノの品質管理や安全基準のハードルが高く設定されたり、嘘のない原産地表示や成分表示が義務付けられたりということ。地球上にこれだけ人間が増え、世界的に見れば食糧問題の解決が人類にとっての優先課題の一つであることを考えれば、食物を「養殖」つまりは「製造」することによって安定供給を図っていくことは必須であると言えます。そう言った消費社会を見つめる目で考えると、やはり政治の力、本当に安心できるガイドラインが整備されることというのは、日本にとっても世界にとっても重要なことと言えます。

一方でその政治の世界で今話題になっているのは「食育」です。財団法人食生活情報サービスセンターによると、食育の定義は下記のようになっています。

食育とは、国民一人一人が、生涯を通じた健全な食生活の実現、食文化の継承、健康の確保等が図れるよう、自らの食について考える習慣や食に関する様々な知識と食を選択する判断力を楽しく身に付けるための学習等の取組みを指します。

つまり「食育」というのは、「食に関する教育」ということになります。しかし、「食育」という言葉にもう一つの意味を持たせたい。それは、文字通り「食文化を育てる」ということです。小さい子供だけでなく、むしろ大人が真剣に取り組むべき課題です。

ですが、家での「食」に関しては、母や嫁に任せっきりということも多いのではないかと思います。独身なら外食メインで個食もレトルトなんてことは往々にして聞く話です。ですが、「食文化」を育てるということは何もそれだけではないはずです(勿論、自分で調理するのは非常に大事ですけど)。例えば、美味しい店や食材を知り合いに薦めること。食に関心を持ちアンテナを張っていること。他人に語れるまでに食にこだわりを持つこと。それだって、「食文化を育てる」ということに対する一助になるやも知れません。

考えれば、当たり前のことかも知れませんし、日々そういうことはやってるよという方も多いと思います。ただ、現状の食文化に対して危機感を持ち、食文化を育てるという視点で日々の暮らしを考えていくという意識付けがあれば、食に対する練度というのは、より研ぎ澄まされていくと思うのです。

ネットスーパーOisixには「たべもの安心宣言」というのがあります。「作った人が自分の子供に食べさせることのできる食品だけをお届けしています」というもの。逆に言えば、そうでないもの、「作った人が自分の子供に食べさせることのできない食品」というものが世の中には結構ある、ということが邪推ですが考えられます。そして、そういうものでマーケットは形成され、業者はマーケットにあわせモノを作り、我々は「子供に食べさせることのできない」食品を口に運んでいる可能性があることになります。

ただ、大事なのは「持続可能であること」です。スゴク舌がピリピリする食事に出会うことがあるかも知れませんし、しかしその舌のピリピリというのはその日の体調によっても変わってきたりするわけです。ですから、最終的には自分の感覚を信じるしかありません。その上で、「これは食べられない」と思ったら、「食べずに残す」ことも一つの選択肢です。既に我々の生活には「食べるべきでないもの」が紛れ込んでるかもしれない可能性は拭い切れない状況にあるわけですから、そういう判断も時には必要でしょう。

食生活という言葉もあるくらいですから、「食」を育てるのは食品メーカーだけではなく外食産業だけでもなく、「食」を生活の営みの基本とする「生活者」自身です。ですから「食育」という言葉が社会にもう少し広義に受け取られるといいと感じている昨今です。

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加藤 康祐 / 企画・設計

1980年1月12日生まれ。フリーランス歴15年。プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。学生時代にデザイン会社でWebデザインを経験。2005年よりフリーランスとしてキャリアスタート。これまでに個人から上場企業まで、100以上のクライアントとのプロジェクトを経験。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの編集・運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート等。趣味はラグビーと料理。Keep the head up, Bind tight & Stay low.

加藤康祐企画設計

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