2010/8/21

プラットフォームに飽きる、とは?

この夜更けにTLで「Platformも独占市場的になったらそのうち飽きるよ」というのがありまして、まあプラットフォームを持つこと自体が、ベースになる独占市場を作ろうとするアプローチではないかと思うのですが、けれども、「プラットフォームに飽きる」というのを考えるのはなかなか面白いんじゃないかと思いまして。

プレイヤーがプラットフォームを独占することはまずなさそう

ネットでもゲームでも音楽でもいいんですが、プラットフォームのプレイヤーがプラットフォームを独占するということはまずないのではないかと思います。ファシリテイターに取ってはtoCで売上を立てることと同じくらい、toBでプレイヤーからお金ないしそれに準じたものを吸い上げることは大事なはずなのと、そうなるとそれはそもそもがただのクローズドマーケットであるということになるので、ファシリテイターに取ってプラットフォームのプレイヤーの多様性を確保することは重要なことだと思うからです。

プラットフォームに飽きる、とは?

このフレーズが今回気になっていたわけですが、プラットフォームに飽きるというのは、「プラットフォームの更新に失敗する」ということではないかと思いました。プラットフォームの特徴の一つに「縛り」が発生するということがあると思います。一方で、プラットフォームを拡張したり、発展させるためには、プラットフォームの「更新」が必要になります。わかりやすく言うと、PS→PS2、セガサターン→ドリームキャストみたいなことですね。ただ特にハードがプラットフォームの規格になっている場合には「乗換」需要が出てくるわけですね。そうすると、今まで飽きられたプラットフォームというのは、「プラットフォームの更新に失敗した」と言えそうです。

ファシリテイターになることが一義なのか?

セガファンって確実に今もいると思うのですが、その昔はハードを盛んに作っていました。僕の世代だとセガサターンからドリームキャスト辺り。むしろセガサターンが出た頃は、まだPSの黎明期でしたし、任天堂が奮わなかった頃ですから、セガサターンが天下を取る、くらいの勢いがあったように思います。ただまあ実際はあまり奮わなかった。それで家庭用ゲーム機から撤退したわけですね。これは今考えるとプラットフォームのファシリテイターの立場を降りて、ソフトを作るプレイヤーになった、という理解ができると思います。そんなにゲーム業界に詳しいわけではないですが、プレイヤーとしてセガって今でもプレゼンスがあって、それなりにファンを抱えているのではないでしょうか。家庭用ゲーム機を作らなくなって以降も、人気を博すタイトルは輩出しているわけですし。

こうして考えると、プラットフォームが飽きられた場合に、プラットフォームを捨てる、という判断も過去にあったということになります。必ずしもファシリテイターであり続けることが、企業の成長や存続において、第一義ではないのではないかとも思います。恒久的なプラットフォームって有り得るのかと考えると、そこにはプラットフォームの更新リスクがあり、新陳代謝は何かのスパンで確実に行われるんじゃないかと思います。であれば、組織の目的に合致したプラットフォームへの関わり方というのを、ちょっと冷静に考えてみたほうがいいのかも知れません。

ゲームとかは多くの場合、ファシリテイターがプレイヤーを兼ねるケースが多くて面白いですね。iTunesとかはそうじゃないですものね。

ちなみに、さもプレイヤーとかファシリテイターとか一般ビジネス用語のように使ってますが、僕が既成の言葉を勝手にあてがっているだけでして、この辺りの役回りというか構造を僕がどう考えているかというのは、過去記事を参照いただけると良いと思います。
Platform on Platform – FreemiumとPlatformを立体的に考える」(図があります)

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