2009/6/2

構築されたものを解体する、メディアビジネスについて

友人が今、SFCの授業をTwitter中継してくれていて、代理店の人の話で面白いなあと思って読んでいたのですが、ちょっと前にメディアビジネスについて問題提起されたことがあって、とは言え僕はメディアビジネスにてんで関わって来てないので、あれなのですが、ちょっと最近、こうなるんじゃないかな的観測が出て来たので書いてみます。

メディアビジネスの起源とかも調べてみたわけでもないので、確たる話でもないのですが、メディアって基本的にMcLuhanじゃないけれども、そもそもコンテンツと成り得る時事的情報や文化的情報や教義的情報や持った人たちが小集団を形成し、メディアという媒体に集約することによって、それをフォローする読者が形成され、メディアがその支持の元に権威を持ち、社会的な発言力や大衆に対する煽動力が備わって来たようなものの気がします。

だからコンテンツを作れる人たちが、メディアという宝の箱を持っているのはしょうがないと。

ただ、WEBの登場で大分趨勢が変わって来たように思います。トラフィックを集めるポータル、メディアは、必ずしもメディア自身によって企画制作されたコンテンツであるわけではなくて、検索というWEBのトラフィックの大半を占める機能に紐づけられたサポーティングパラグラフでしかないと思うんですよね。

実際、Yahoo!やMSNやGoogleに掲載されている情報はどこぞのニュースサイト(既存メディアが多く含まれる)の提供によるものが多いわけで、WEBにおいて既存メディアは「ニュース提供元」になっていて、自前で勿論メディアとしてのWEBサイトも持っていて、一定のトラフィックを抱えているのでしょうが(そうじゃないと有名サイトのニュース提供元にもなれぬのだろうし)、ただこういう「メディア運営」と「コンテンツ提供」がどんどん切り離されていくというのは、肥大化したメディアビジネスと、それを支える広告ビジネスの矮小化において、むしろ然るべき未来像を示唆しているのかなあなどと思うわけです。

CGM的なサイトなども「自前でコンテンツを作らない」メディアですよね。でもメディアとしては大いに機能しているサイトもたくさんあると。そう考えると、今のメディアビジネスって何なんだろうと思うわけです。

先日、大好きだった『Esquire』が休刊してしまいました。きっと広告による収益モデルが立ち行かなくなってきたのでしょう。廃刊、休刊のニュースはここのところスゴイですね。広告ということ自体がかなり景気に左右されますし、ただそれ以上にネットなどの効果測定ができる小口の広告というものの有用性が証明され始めたためと言えそうですが、コンテンツとしては良質で、ああいうコンテンツのインキュベーションができる編集っていうのは、やっぱり価値があったんだと思う。

編集までもユーザによって為される時代と言っていいものかどうか。僕はソーシャルブックマークで人気があるエントリリスト、みたいなものを全く見ないので、同じような趣味の人がピックアップしたコンテンツということで辿り着くことはありますが、「良質な編集」という専門性はまだまだ世の中に必要な気がします。とは言え按配としては、日本の伝統芸能が廃れないように伝承していってもらいたい、くらいの当事者意識のない感じでもあります。

正直、メディアビジネスにおいて、「メディア運営」と「コンテンツ提供」は分離していくべきなのか、収斂していくべきなのか、よくわからんのですが、今だってほぼ制作会社主導のコンテンツもあるのやも知れませんが、なんかこうもう少し、ビジネス的に構造的な変化があってもいいような気がしますね。地デジ化とかではなくて。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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