2009/6/2

そもそもの目的がコミュニケーションであったはずが、コンテンツの消費に変質しちゃってるあたりに不毛感があるのかも

最近、梅田望夫氏のインタビューを読みました。別に僕は梅田氏礼賛人間ではないつもりなのですが、どうにもこの記事は腑に落ちないというか、目的に向かってストーリーが設計されてない話が為されていて、それってかなりいわゆるメディア的曲解の上に成り立っている記事なのではないかと感じました(「日本のWEBは残念」≒「不倫は文化」)。

梅田氏が「日本のWEBは残念」と結論付けたのか否かは別として、「日本のWEBってもっとさぁ」みたいな希望的もろもろが梅田氏がオプティミストを自称する所以だと思うのですが、僕は欧米でのWEBの在り様が、どれほどハイブローなのかもよくわかりませんし、文化人のスノッブさも好きではありません。

ただ、Twitterで「梅田氏も消費されるコンテンツの一つでしかないということを認識する必要がある」というようなフレーズを目にした時に、「そもそもの目的がコミュニケーションであったはずが、コンテンツの消費に変質しちゃってるあたりに不毛感があるのかも」と感じました。

梅田氏くらいになると、パブリックパーソンなんだと思います。公人。だから言説もパブリックなものとして受け取られざるを得ず、それが最早コミュニケーションではなく、受け手にとって単なるコンテンツの消費になってしまう、というのはある種仕方がないことだと言えそうです。

だからというわけではないですが、僕なんぞインターネットの片隅で自分の好きなことだけを放言しているわけですが、AOLに初めて触った頃に比べて、WEBに初めて触った頃に比べて、ネット体験ていうのは、コミュニケーションということから、どんどんコンテンツを消費するというスタンスに近づいて来てしまっているのかも知れない。と考えると、何かに対するレスポンスもコミュニケーションというより、コンテンツを消費した感想文に近づいて行ってしまっているのかも知れない。

勿論、全部が全部そうじゃないですよ。ブログのコメント欄でも有意義なコミュニケーションが行われていることは色々な所にあるだろうし、Flickrのコメント欄などは見ていて微笑ましいし(あれは英語圏で行われていることか、日本ならPixiv?)、Mixiだってソーシャルブックマークだって無為とは思わない。

ただネットというものに初めて触れた時の感触と比べると、ネットがメディアになり、言説がコンテンツになり、気がつけば実はそんなに他のメディアと大差ない接し方をするようになってきた自分に気付きます。それを進化と取るか退化と取るかはなかなか微妙なところのようにも思います。なあんか、メディア→コンテンツ→消費という構造には殺伐として漠然とした物悲しさがあるように思う。

とは言え、WEBの救いはまだまだ混沌としていて、これが是、ということが定まっていないところにもあるのだと思うのですが、最近、Twitterのような新しい議論の形に触れて、RSSで情報が様々な場所に流れて、それがHUBのような形になっている状況を鑑みると、なかなかどうしてという期待値はあります。ゆるいから中身がないってことではないと思うのですよね。

つい最近もGoogle Waveという次世代のコミュニケーションツール(プラットフォーム?)の構想がGoogleから発表されて、まだ定着するかどうかも定かではないですが、書き手と読み手、作り手と受け手みたいなのが、昔のようにごちゃごちゃしてくると、もう少し救いが出てくるのではないかと思ったりもしています。

オピニオンリーダーとその他大勢のフォロワーによる封建体制みたいになっちゃうとつまらないし、だから多分WEBそのものがコンテンツの消費のスペースみたいになっちゃってるのだと思うのですが、既存の枠組みではなかなか難しいのであれば、ユーザとしてはテクノロジーによるブレイクスルーに期待せざるを得ません。

日本人の精神性を嘆いてもしょうがないですし、そもそも日本人の精神性は嘆かざるを得ないもの、とは全く思っていないので、どうすればより楽しめるのか、色々試してみるしかないような気もしますね。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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