2006/11/4

プログラム設計で学ぶ論理的表現方法

まだプログラミングに触れ始めて1週間ほどしか経っていません。というわけで、あまり偉そうなことは言えません。ただ、この1週間で嫌というほど気付かされたことがあります。それは、今まで自分が書いてきたものと、プログラム設計において要求される書く技術の隔絶。これはある種、対極にあるもののような気がします。

今ちょうどSE入門的な形で色々ご指導を受けておるのですが、特に注意しなければいけないことが、「誰が読んでも同じ理解のされ方をするように書く」ということと、「誰が組み立てても同じ成果物ができるように書く」ということです。これがなかなか難しい。

Experience Transportersのディレクションの項でも述べていますが、10人揃えば10人なりの色のついた方向性で受け取られ、それぞれが違う印象を付記して受け取った経験を周囲に伝えていく、ということがより自然で現実的な情報の伝播の仕組みです。しかし、プログラム設計においてはこうではいけないのです。

仕様書や設計書は青写真ではいけません。プログラムを書くということは、自然言語を形式言語に変換するという作業ですから、その土台となる仕様書や設計書は、わかりやすく丁寧で、かつ端的で簡潔でなくてはなりません。余計なことを書けば余計なコードがプログラムに付加されてしまうかも知れませんし、説明が足りなければ必要なはずのコードがプログラムに含まれない、という事態が起こり得ます。それでは、仕様や設計とは言えません。

もちろん、僕は最終的にSEとして生計を立てて行こうとは思ってませんし、世の中には僕よりもSEにより高い適性を持っている人がたくさんいることを知っています。しかし、「現場がわかる企画屋」として育っていこうと思えば、SEの人たちがいったいどういったところを懸念していて、どういった共有言語で話を進めていかなければいけないか十分に把握していなくてはなりません。なぜなら、デザインも企画も常に技術の傍らにあるものだからです。

クリエイティブの世界でも論理的思考は重要だと思います。ただそれ以上にこの1週間で大事だと気付かされ早々に身につけなければいけないと感じたのは、論理的表現の方です。幸い言葉の扱いには慣れていますから、論理的思考を身につけるのは時間がかかっても、論理的表現を身につけるのは要領さえわかれば、比較的早くものにできそうな気もしています。

いかに行間を読ませるかが今までの僕のレトリックでしたが、いかに行間を無くすか、言い換えれば、「行間が無い」という前提で読み進めて齟齬がない文章を組み立てられるかどうかということは、これまでやってきたこととは全く違ったベクトルでしかし、表現の幅を広げるという意味でも、よりTPOに応じた書き方を選択できるという意味でも重要だと感じています。

どうやら一つのプログラムができあがるまでには、大量の仕様書、設計書が生まれるようです。しかし、そういうガイドラインを論理的に構築できるということは、もしかしたら、今後の僕のクリエイティブにも十分に活かせるところがあるのかも知れません。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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(2012-10-5)
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