2009/5/9

建築について素人なりに思うこと、坂口恭平氏と0円ハウス

何を隠そう、小学生の卒業文集の「将来の夢」という奴には建築家、と書きました。祖父が建設会社の仕事をしていた影響が大きいのと、実は『渡辺篤史の建もの探訪』が大好きだったことがありまして。あれって子供心に毎年「大人にしか作れないものを、大人が誉め称え感心する」という様子を見せてくれる番組で、ある種の羨望の眼差しで眺めていました。

うちの大学は後発ながら教授陣には有名な建築家の方も名前を連ね、建築学科ではないものの、建築を専攻する後輩も結構いました(正確にはランドスケープデザインだったり、何だり)。授業にもいくつかそういう類のものがあったと思いますが、僕は残念なことに一つも受講した記憶がありません。勿論、安藤忠雄氏くらいは知っていましたが、実際にその人の作ったものを見に行こう、というようなモチベーションもありませんでした。

ただ、社会人になって、例えば、後輩にSantiago Calatrava氏という建築家がスゴイですと聞いて「ほほぉ」と思ったり、クライアントに西洋文化を理解するには西洋建築の理解が不可欠と言われて「勉強します」と思ったり、最近では、Rem Koolhaas氏のインタビュー書を読んで「そこまで建築なの?」と思ったり、つい昨日、友人に0円ハウスで有名な坂口恭平氏という人の存在を教えられて「そもそも建築ってなんなの?」と思ったりして、いい意味でわけがわからなくなっている、というのが現状です。

そんな中、気になったのが坂口氏のインタビュー。

TS38 : 坂口恭平 – Tokyo Source

単純に、何か新しいことをしなきゃいけない、と思ってた。誰かが注文した、ばかでかい都庁みたいな建物ばっかりのさばって、いま建築やっているおじさんたちを倒さないと、これからもむちゃくちゃなものが建ち続ける。その人たちが教える子どもたちは、もっとむちゃくちゃなものを作り続けて、膨大なゴミが高くちり積もる世の中になってしまう。そんな世の中じゃ駄目だと。それなのに、皆、批判もなくそういう建築家になりたいと言う。それで、大学では毎晩学者たちと喧嘩してたんですよ。お前らの考えはばかだ、心を入れ替えてくれと。でも、「そういうこと言ってると食えなくなるぞ」と誰も聞かない。
<中略>
そう。そんなことを言っていた頃、多摩川沿いである家と出会ったんです。竹林の中に、竹が半分くらいの長さにきれいに切り揃えられた一角があって、驚いて入っていったら、竹垣と、4畳半くらいの手製の家があった。日本家屋風なんだけど、全部プラスチックでできてて、目の前には畑があって、猫が2、3匹いて。そこの住人のおじさんと話をしたら、20年くらいそこに住んでるって言うんですよ。普通に竹の子が取れるからそれを売ったりして、竹の子が取れないときは鉄くず売って食べてて。それってホームレスなの?って言っても、僕もおじさんもよくわからない。「俺はこういう人生送ってますけど、So What?」みたいな感じですよ。

職業建築家を目指す人たちの中に一人こういう人がいたら、周囲から見たらアナーキストですよね。と書いてみて思うのですが、何かこう僕が後輩から聞いている話も含めて、ちょっと建築が「政治」になっちゃってるのではないかと感じます。「生活」の傍にいないんだな、と感じました。

0円ハウスってのはそれへのアンチテーゼで、強烈なメタファーなのだと思うのですが、本来的に「人一人が幸せを得ることができる最小公倍数的状況」というのが究極で、そういう意味で0円ハウスってのはコンセプトとして研ぎ澄まされてるなと。

最近、宮台真司氏の『日本の難点』という新書を読んでいる最中でして、不可能と不可避の話が気になっています。再帰性という奴です。例えば、死に抗うことは不可能であるが、死に抗わずに生きることは不可避である、みたいなことだと思うのですが、人一人を幸せにすることができずして、社会を変えることは不可能だと思うけど、社会を変えるためには、まず人一人を幸せにすることが不可避だと思います。だから非常にブレイクダウンしたところで、0円ハウスという原点から、インパクトを押し出していくっていう動き方は共感できます。

これって実は僕が「デザインの仕事」をするにあたって考えていることと符合するんじゃないかとも感じました。クライアントの規模、予算の多寡、メディアでのインパクト、そういうものも評価軸としては重要なのかもしれないけれど、そうじゃない、ミニマムセットでの質の高い仕事というのもあり得るんじゃないか、などという話は「八百屋、魚屋、デザイン屋」にも書いてある通りです。

「政治」より「生活」が大事とかいうのは陳腐な話です。ただ言わば振れ幅の問題で、大きく人の学術的な興味が「政治」的なものに偏っているのであれば、それは大きな問題だと思う。小粒でもピリリと辛い山椒のように、みたいなビジネスを僕は少しでも応援できる人間でいたいと思います。

そう考えると、僕みたいに都庁を仰ぎ見たり、新国立美術館を眺め見ても、大した感慨も抱かない人間は、自分が次に住む住空間、というところで建築を考えていればいいのかなあと感じます。なんだ、『渡辺篤史の建もの探訪』でいいんじゃないか!

追記:
渡辺篤史氏が0円ハウス探訪したら面白いのに。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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