2009/4/30

環境という変数について考えてみる

これとかこれとかこれとか読んでおりまして、「いやはや僕は温いなあ」と少し遠い目で眺めてしまったのですが、なまじ島国だけに歴史の節目節目でこういう「日本を出るべきだ!」「日本を見捨てるのか!」みたいな話は幾星霜繰り広げられてきた議論のように思うのですよね。

僕の経験を鑑みますに、お世話になっているコンサルタントの方に「シリコンバレーに行きなさい」と言われたり、尊敬する経営者に「会社に入ってみた方がいいよ」と言われたり、上司に「この会社やらないか」と言われたり、クライアントに「まだ独りでやってるの」と言われたり、先輩に「家を出れば」と言われたり、後輩に「モヒカン怖いっす」と言われたり、親に「痩せなさい」と言われたりするわけですが、何一つ実現していない。

環境っていうのは変数だと思うんですよね。であるがゆえに、自分のポジショニングを環境に委ねることに僕はとっても臆病です。

ただ、「デザインの仕事しなさい」とか、「ラグビー頑張りなさい」とか、言われてやっているわけではなくて、ここは何かと言えば好きだからやっている。「フリーランサー」であることも、「飲んだくれ」であることも、それがカンフォタブルだからやっている。勿論、そこに使命感がモコモコ立ち上がってくるには、紆余曲折あるわけですが、結局、生きることを楽しむためにやっている。

だから、これからの時代に対して、過去の負債の精算だとも、滅びゆく国に生きているとも、思わないです。むしろ環境という変数が目まぐるしく変わっていく中で、どうやって自分らしいライフスタイルやワークスタイルを調整しながら、良いもの作って人を育てて、ということが大事で、その先にあるものが国を豊かにすることだったとしても、それはきっと結果論でしょう。逆に言うと、そんな大き過ぎる使命感背負った状態で日々暮らしていけるのか?とちょっと心配な気持ちになります。

アメリカで仕事するのも、日本で仕事するのも、僕は仕事があるだけ良い話だと思いますが、とりあえず、僕の仕事はアメリカでしかできない仕事でも、日本でしかできない仕事でもなさそうです。

逆に僕が心配なのは、グローバリズムって、些末なことは雑でもいい的メンタリティを育んでる気はします。丁寧に、丁寧に、見ていけば、やるべきこと、やらなければいけないこと、は思いの外、身近に山積していると思う。

話が大いに脱線してしまいましたが(とは言え、それが意図した話の流れなのだけど)、環境が、環境が、って話は、あんまりカッコ良くないのだと思っているわけです、つまるところ。

団塊の世代も後は引退を残すのみくらいのタイミングで、世界恐慌というあらぶる獣と獅子奮迅の戦いをしてくれているわけで、日本が元気がないと言われれば、それはもう「僕とかかわった人は元気にしますよ」くらいのことしか言えないなあと。

人に悩みを相談されても、僕にできることは、その悩みを論理的に分解してあげられることくらいです。あとは闘魂注入か。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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