知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 白洲正子 目利きの肖像 第1回 骨董・本物を知る
知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 白洲正子 目利きの肖像 第1回 骨董・本物を知る via NHKオンデマンド
語り手 細川護煕
神奈川県湯河原で晴耕雨読の日々。
白洲正子は子供の頃から細川家に出入していた。
「日本の古典、能、焼き物、仏像、色々なものに通じて、縦糸と横糸を自分の言葉で紡いで語れる最後の人だった。そういう意味で非常に魅力的だった。」
眺めているだけではつまらない:
古墳から出土した石や古代ガラスで作った指輪
京都神護寺に伝わった平安時代の経筒の金具の蝶のブローチ
法隆寺の飾りとして使われていたネックレスの鈴
武相荘(東京町田市鶴川)
武蔵と相模の境で武相荘
工芸品やコレクションを観ることができる
李朝の箪笥
正子の生前細川氏もしばしば武相荘を訪れた
掘りごたつの書斎、両脇に本棚
細川護立(護煕氏の祖父)→正子の骨董のお師匠さん
「魔法使いのおばさんが来たぞ」と囃し立てていた
桃山時代の鉄製灯明台に江戸時代の伊万里の蕎麦猪口を乗せ花生けとして使った。
室町時代の備前陶板→皿や壺を乗せて焼くものに果物を乗せる大皿として使った。
「美術館のガラスに入っている骨董は顔色が悪い」
明治43年、樺山伯爵家に三人兄弟の末っ子として生まれる。樺山資紀(正子の祖父、明治維新志士、海軍大将になった薩摩隼人)にかわいがられる。
アメリカ留学。
19歳でイギリス帰りの白洲次郎と結婚。
大使館や財閥のパーティを飛び回る。
家にあったピカソの絵などを一枚一枚売りながらの生活。
「私は今まで何をしていたのだろう。ほとんど夢のように暮らしていたのではないか。私はひたすら確かなものを見たいと思った。」
戦後、没落した旧家から骨董品が一斉に流れ出る。
小林秀雄(文芸評論家)と青山二郎に出会う。
青柳恵介(国文学者、直接正子から骨董の手ほどきを受けた)
正子は決して後ろに引く人ではなかった。
毎日のように骨董を買う。
「韋駄天のお正」
青山二郎
「頭で見るな、目だけになれ」
頭で考えない、知識で見ない、感覚だけで見る。ただただ一つの「もの」として見る。
「今まで得た知識や情報を全部忘れて、裸の心でものに接する。そして相手が心を開くまで黙って待つのである。その時はじめて骨董は向うから語りかけてくる。」
昭和50年代、漆桶を雑誌に骨董として紹介したことで、ブームになった。ただの古道具が骨董になった。
細川護立が当時正子が欲しがっていた林又七(江戸時代初期、細川氏お抱えの鍔師)作の刀の鍔の写を与えることで試した。本物じゃないと見抜かれて、本物の又七を与えた。ついでに信家も貸してくださいと言って、2つせしめた。
加藤静允(陶芸家、京都)
正子はその腕を高く評価していた。
本職は小児科医師だったが正子が作品に惚れ込み世に紹介した。
「古いものがみないいわけではない。好きなものを使えるような形で作りたい。」
「人も骨董も二分見れば全てわかる」
「断固として自分はこれがいい」と言い切る
死ぬまで愛した古伊万里の壺→偽物だったが、好きならばそれでいいと言って気にしなかった。
「5、60年やってやっと骨董にも魂があるということを知ったの。その魂が私の魂と出会って、火花を散らす。人間で言えばひとめぼれっていうやつかな。どきどきさせるものだけが美しい。随分色々のことを教えてもらった。いかに生くべきかということまで。」

加藤 康祐 / 企画・設計
プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。
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フリーランスとして働き始めるってどういうことだったのか?フリーランスとして働くってどういうことなのか?フリーランスが目指すことってなんなのか?5年間の自分の経験から書きました。(2010年執筆)