2010/4/2

美の壺 File 20 織部焼

美の壺 File 20 織部焼 via NHKオンデマンド

古田織部(1544-1615)が祖…桃山時代の大名で茶人でもあった。千利休の弟子、利休の死後、茶の湯の第一人者となる。その織部が好んだことから織部焼。

織部焼は美濃国で焼かれた。

斬新で奇抜な形と色使いはそれまでの日本の陶器にないもの。

■ 「緑」

南蛮貿易で持ち込まれた中国南部の華南三彩に影響を受けた。

華南三彩の緑→均一
織部焼の緑→釉薬の流れを活かす=けしき

手嶋敦(多治見工業高校教諭)…織部焼の緑を研究。

釉薬の原料は緑を出す酸化銅と焼いた時に器に色を定着するための木の灰。灰の種類によって銅の緑の色や流れ方が変化する。

佐藤和次(陶芸家)…30年間織部焼作陶に従事。

現在の陶芸家でも自分の思い通り緑を発色させることは難しい(電気釜を使っているようだ)。

「織部のグリーンは美濃の山のような色だ」

深い緑=酸化が強い。

■ 「かたち」

沓茶碗…神官が履く靴を連想させる。
「茶碗歪候也、へうげもの也」via 博多商人の日記
へうげもの=ひょうきんもの

利休→黒茶碗…装飾を廃しわびの精神を反映
織部→沓茶碗…今にも動き出しそうな躍動感

従来の茶の湯の美を覆そうとした(桃山の時代観を反映している?→歌舞伎者)。

南蛮人燭台、キセル、陶硯

等々力孝志(織部焼蒐集家)

ひょうげ…アシンメトリー、美術品としての品の良さ、桃山の自由闊達な遊び心。

■ 「文様」

ぶどうの模様、幾何学模様。

北大路魯山人(陶芸家、1883-1959)

織部焼を高く評価。
「織部の絵は その意匠 千変万化して 実に立派な 意匠である」

織部焼の文様は焼き物の技術革新によって可能になった。

本屋敷窯跡(岐阜県土岐市)
斜面に沿って作られた登り窯。下から上に火が登り、少ない燃料で一度に数千を焼くことができた。大量生産が可能になった。絵付けをするキャンパスを大量に用意した。

織部焼は京で人気を博し、多彩な文様の器の注文が相次いだ。

網目の跡。カヤの歯切れでつける。ろくろでは作れない形を大量に作るため、型を用いた。カヤを被せるのは、土が型に張り付かないようにするため。型によって更なる大量生産が可能になった。

器に応じて絵も描きわけられた。

同じものをたくさん量産したのではなく、種類をたくさん作った。「陶工は描ける技術ができたから、それを見せたい」というのが織部焼→千変万化。

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