2006/10/10

美しい国

「美しい国」とは安倍晋三内閣総理大臣の著書『美しい国へ』で使われたスローガンであり、この先、数年の日本の大義名分になる言葉です。おぼろげな言葉としてメディアでは捉えられていますが、そもそも「美しい国」ということの実態を想起できないというのはメディアの発想力の乏しさで、むしろ「美しい国」という言葉で自国のアイデンティティを語り得ない今の日本人が甚だ思慮に欠けているということかも知れません。僕は「美しい国」という言葉はとても「美しい日本語」だと思っています。

小泉内閣ではそれに該当する言葉が「自民党をぶっ壊す」だったわけで、そういう意味では「美しい国」というのは抽象的なことばで、掴みどころがなく、安倍氏は「筋肉質の政府」とか、「人生二毛作」とか、若干浮ついた言葉を使い過ぎるきらいがある気もしますが、しかしながら「美しい国」という言葉にあっては、そもそも国民一人一人が「美しい国」とはどんな国かということに思いを馳せるべきで、安倍氏の「美しい国」像を分析することより、こういった言葉が国民に対して投げかけられた時に、個々人がどのように「美しい国」という言葉に肉付けし、実態を与え、実像を咀嚼するか、ということが重要になってくるのではないかと思っています。

安倍氏の描く「美しい国」像より、僕は隣の貴方の「美しい国」像に興味があるのです。

そもそも日本人は、特に高度経済成長期以降、帰属意識が希薄になってきているように思います。家族像の崩壊は問題になって久しいですし、日本人であることは意識しても、日本国の一員であるという認識はあまりないのではないかという気がしています。勿論、スポーツの祭典でのサポーターの熱狂は、ある種のナショナリズムを刺激された結果でありましょう。ですが「お国のために」は完全に戦前の発想で、今国のために生きているという発想持っている人というのは多数ではないでしょう。

一方で日本人が強烈な帰属意識を持っていた対象もあります。それが企業です。終身雇用という体制は、企業という集団に対して強烈な帰属意識をもたらしました。しかしながら、昨今は様々な会社を渡り歩きキャリアを形成するというライフスタイルも増えてきています。戦後、ナショナリズムへの帰属を断ち切り、経済復興へ己の生きる価値を求めた日本人は、飽食の時代を迎え、企業にすら帰属意識を持ち得ない、そんな時代に入ってきているのではないかと思います。

ひきこもりやNEETの問題も実は「帰属できない日本人」というところに原因があるのではないでしょうか。集団に帰属しなくても良い、という選択肢が生まれてきたことにより、「集団の中で自己のアイデンティティを確立していく」という作業自体に価値を見出せなくなったということが、「個の孤立化」を生み出したように思います。

ですから、そう言った人たちが、インターネット上のコミュニティに強烈な帰属意識を持つのも、理解できる話のように思います。古くは2ちゃんねる、最近ではMixiのようなSNSがそれにあたります。ゆるやかな人との繋がりに安心感を抱き、ネット上で自己のアイデンティティを模索する。そう言った社会現象も、「希薄になった実社会での帰属意識」を鑑みれば、自然な成り行きと言えるのかも知れません。

僕の話に移ると、最も強固に帰属意識を感じるのは僕の場合ラグビーチームだったりします。色々な要因があると思いますが、それを支える最たるものは「誇り」であるように思います。「一員であることの誇り」が、チームに関わる様々な社会活動に相対する勇気を与えてくれるのだと思います。「誇り」は苦楽を共にし、喜びを分かち合い、悔し涙を流し、泥だらけになりながら必死に努力したという「経験」に支えられるところが大きいでしょう。そうした「誇り」をもたらす「経験」というものを体感できる機会が、実は今の日本にはとても少ないのではないかと思っています。

アメリカは「正義の国」です。とアメリカ人は思っています。それが正しいか間違っているか良いか悪いかは別として、自由主義経済の競争社会でありながら、強烈なナショナリズムを持ち、星条旗に誇りを抱き、アメリカの正義が世界の平和をもたらすという信念は揺らぎません。アメリカ社会が果たして望ましい方向に向かっているのかどうかということは定かではありませんが、しかし、自分の国家に対する「誇り」の持ち様という意味で、高校時代アイデンティティを見失った僕は、アメリカ人のその盲目なまでのある種の愚直さを、羨ましく思った記憶があります。

「美しい国」ということに話を戻すと、モノを美しいと感じることができるかできないかの大きな相違は、どれだけその対象に思い入れを持てるかどうかということがまず前提条件になるように思います。ですから、日本という国に帰属することの意味を見出せなければ、日本という国を美しいと感じることもできません。海外からの旅客がしばしば日本を美しいと褒めてくれますが、それは初めて触れる文化であるからで、日々を暮らし、常に帰属する対象に対して「美しい」と感じれるかどうかはまた別物です。ですから、やはり「誇り」なのです。

司馬遼太郎氏の著作にそのものずばり『この国のかたち』という本がありますが、これまでの日本の歴史文化に誇りを求める。ないし、両親祖父母の築き上げた家族に誇りを求める。しかしながら、その誇りが現在の日本という国というところまで文脈として繋がってこないところに、今の日本の寂しさがあるように思います。

ですから安倍氏が唱えている家族再生、教育改革も方向性としてあながち的外れとは思いません。しかし、人の心持というのは時代の必然において形成されていくものですから、きっと両親や祖父母の世代とは違った、これからの日本へ抱くべき誇りを見出すには、もう少し時間がかかるかも知れません。

奇しくも北朝鮮の核実験が報道され、安倍政権は早くも大事な局面を迎えています。我々が「帰属しているはずの国」の舵取りを、是非とも間違えないでいただきたいと思います。

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加藤 康祐 / 企画・設計

1980年1月12日生まれ。フリーランス歴15年。プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。学生時代にデザイン会社でWebデザインを経験。2005年よりフリーランスとしてキャリアスタート。これまでに個人から上場企業まで、100以上のクライアントとのプロジェクトを経験。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの編集・運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート等。趣味はラグビーと料理。Keep the head up, Bind tight & Stay low.

加藤康祐企画設計

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