2008/10/16

「わかんないけど」が口癖です

そんなんでよく営業とかできますね、という話なのですが、客先ではともかく、友人知人、先輩後輩と話している時に、どうやら僕はよくよく「わかんないけど」ということを発言の枕詞に使います。聞いている方は随分と心許ない印象を受けるのではないかと思うわけですが、今日は弁解させてください。

別に自分に自信がないわけではないのです(とっても自信があるわけでもないですが)。ただ僕は性格的に自分のできないことを分析したり評価したり批評するのは存外不得意というか不得手のようでして(理解する努力はしますよ)。自分ができることに関してはまだしも、そもそも自分ができないことを論じるに足る能力があるのか?論じるに足る意味はあるのか?という原則論になってしまうのです。

そういや、「10年同じことを続けるまで、偉そうに語るな」というフレーズも影響しているのかも知れない。

で、それは僕の理解の範疇でないぞ、と身体が違和感を覚えた時に、口からこぼれてしまうのが「わかんないけど」なんです。酒の席なぞ、とは言え、言いたいことは山ほど出てくるので、結果、「わかんないけど」の速射砲になっちゃうんですね。ガトリング砲みたいなイメージでしょうか。

この世の森羅万象、世界のありとあらゆることを理解する、それはそれ理想にもならない話なのだけれども、実際のところは駅前の本屋に並んでるだけの書籍ですら、多分一生かけても僕は征服できないわけで、僕にとって本屋って自分という世界の矮小さを痛感させられる場所だったりもします。

というわけで人間は取捨選択ということをするわけですが、多くの場合、取捨選択って消去法です。捨てていく。自分に価値がありそうなもの、とか興味を惹くもの、とか言えば聞こえはいいのですが、理解するという力の範疇の外にあるものを捨てていく、というのが本質だと思う。

きっと子供と大人の違いってそういうところにあるのではないかとも思うわけです。大人は理解する力の範疇というものを自ら規定している生き物なのではないかと。

僕もそれなりに大人ですから、理解する範疇というものの規定があって、しかも自分ができること以上のことに、偉そうなことを言っていいのかという疑念が常に頭を過ぎるわけだから、僕の世界はIt’s A Small Worldなんですね。

ですから昨日露呈したわかんないけどを今日中にわかるようにしておきたい、それが日々是勉強、ということでしょう。

久し振りに師匠に連絡を取ってみたら、やはり、というべきか、また新しい領域に触手を伸ばしておられて、お互い日々勉強ですな、とおっしゃっていたのが心に残りました。

「わかんないけど」を減らす努力、即ち勉強は、理解の範疇を広げる作業なのでしょう。理解できることが増えるということには無条件に幸せを感じます。ただ、「STOP!わかんないけど」というようなキャンペーンを打つ話でもないので、50代60代になった頃に僕の口から「わかんないけど」が自然と少なくなってればいい、というくらいの心持です。

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加藤 康祐 / 企画・設計

1980年1月12日生まれ。フリーランス歴15年。プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。学生時代にデザイン会社でWebデザインを経験。2005年よりフリーランスとしてキャリアスタート。これまでに個人から上場企業まで、100以上のクライアントとのプロジェクトを経験。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの編集・運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート等。趣味はラグビーと料理。Keep the head up, Bind tight & Stay low.

加藤康祐企画設計

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