2009/11/29

「楽しい」のパッケージ

先日、友人の家に遊びに行きました折に、大の大人が朝までWiiでグラディウスやらスーパーマリオブラザーズに熱中しているのが印象的でした。面白いもので、隠しコマンドとか、1UPキノコの場所とか、幼い頃はまったゲームの記憶は、時を経ても色褪せないのですね。多分、なにかそれは経験的な記憶というやつで、「そう言えば、そうだったな」的に操作をしながら、記憶の糸を手繰り寄せているのでしょう。

その日の昼に、映画を観終わって後輩と昼食を取っておりましたら、ゲームビジネスの話になりました。話していた流れでふと浮かんだのですが、ゲームって「楽しい」をパッケージ化したものですよね。「楽しい」ってこと自体は「モノ」ではないですが、ゲームというパッケージになることで、それを流通させ販売し、ビジネスとして成立させることができる。エンターテインメントの世界で考えると、メディアというのはパッケージ化された楽しさ、ということができるのかも知れません。

考えてみれば映画もそう、テレビやラジオの番組もそう、雑誌も書籍もCDも、言わば「パッケージ化された楽しさ」だから生産と消費の文脈の中におさまるんですね。で、何が言いたいかと言いますと、最近メディアビジネスというようなものが機能しなくなってきたぞぞぞ、ということは、「楽しさがパッケージ化し辛くなってきた」からなのではないかと。

パッケージ化されているから、そこには販売や広告枠と言ったビジネススキームが成立し得ていたわけだけれども、楽しさって本来、箱的なものに必ずしもおさまっている必要はないわけで、マクルーハンを持ち出さずとも、そもそもが活版印刷に始まってメディアはコンテンツを流通させる形態だったわけですけれども、今特にインターネットの世界で行われていることは、「メディアミックス」というような複数のメディアのタイアップなどという生易しいことではなく、もうそれは「メディアがぐちゃぐちゃ」ってことではないでしょうか。「クロスメディア」とか言われるより、一層のこと「メディアがぐちゃぐちゃ」って言ってしまった方が、現実との乖離が少ないというか。

以前、ソーシャルメディア系のセミナーに行った時に、「ソーシャルメディアは、それぞれのソーシャルメディア単体で考えても意味がない」というような話を聞いてなるほどなと思いました。その辺りの話は、「ソーシャルメディアマーケティング」でも書いています。例えばTwitter単体でプロモーションを設計しても、そんなに取り得る選択肢は多くないと思うのですけれども、「Twitterを絡めた」という視座で他のありとあらゆるものとの組み合わせを考えていけば、その可能性は無限大でしょう。

で、そういうソーシャルメディア的なもの、なんかを考えていると、それはもう「パッケージとしての価値」でユーザもデベロッパもその「楽しさ」を評価してないだろうなと思うわけです。もっと雲を手でつかむような、漠然とした楽しそうなエコシステム、みたいなものをその周囲に見ている。だから、「パッケージとしての価値」をいかに高めるかという視座で作りこまれてきたメディアビジネスの世界が瓦解し始めているのではないかと。

ですから、「もの作りからサービスへ」みたいなことも一つのパラダイムシフトの考え方としてありなのかも知れないですけど、逆説的ではありますが、「脱パッケージのもの作り」という考え方も、これからの指針の一つになり得るんじゃないかと感じます。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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