ニューヨーク、ニューヨーク2009/10/18

ニューヨークに住む高校のラグビーのチームメイトから電話がかかってまいりまして、彼はマンハッタン在住なのですが、ちょうど出張で同じく高校の同級生が彼の家に泊まっていたそうで、わざわざ連絡くれたのです。おそらくむこうは朝の5時とか。

ニューヨークにはいつ来るんだ?とか、バンクーバーオリンピックには行かないのか?とか、普段国内散策しかしておらぬ僕には凄く羨ましい響きに感じました。旅行とか国内が好きですけど、海外が嫌いなわけではありません。アメリカとカナダと韓国くらいしか行ったことないですけど、特に住んでいたニューヨーク(の郊外)は自然も多く(庭にリスやら蛍やら)、人もユニークで(隣の家はユダヤ人の方でした)、アーティスティックな刺激にはことかかなくて(美術館は圧巻、演劇はそれほど馴染みませんでしたが)、好きな仲間と制約多いと言いながらもその中で色々工夫できて、今じゃいい思い出しか残っていません。いわゆる世間的なニューヨークの醍醐味を存分に味わえたとは言えないのかも知れませんが、僕のニューヨーク生活は充実していたと思う。

そう言えば、先日同じく高校の同級生が一時帰国と相成りまして、僕も声掛けてもらい丸の内での飲み会に行って来ました。素面の時はかろうじてヒアリングはできていたものの、お酒が入ってくると、「もうわからない言い回しは、流しちゃえばいいや」状態になり、今思い返すと、結構失礼な話ですね。プロフィールにも書いてある通り、英語は途中で諦めたというか、挫折したというか、投げ出したので、まあ自業自得なわけですが、たまあに高校の同級生に会うと、ああすげえなすげえなと感心させられます。

というか高校の同級生、結構活躍しています。たまあに高校の同級生と会うとかなり尖ったことをやっている人がいて(クリエイティブ的なことだけじゃなくて)、それは同級生だけじゃなくて、先輩も後輩もそうなのですが、話効いてても面白いです。ただ一つポイントなのは、前提条件として英語ができる、その上で、というところで、社会人としてのハードルを一段クリアしたところから始めているんだろうなあなどと思うわけです。それだけじゃだめなんでしょうけど、周囲の実績を見るに面白いです。

実は大学帰って来てからニューヨークって憧れたんですよね。それはでも、高校の時の体験の延長とかではなくて、『Esquire』とか『Pen』みたいな雑誌の情報とかで、自分が住んでいたところが、今やり始めた仕事の、一番カッティングエッジな舞台だったんだなあと思うと、何だか口惜しいというか、勿体なかったというか、もっと色々見るべきものがあったんじゃないかなあと思ったわけです。

ただ、社会人になって忙しない生活からちょっと距離を置いて、国内ブラブラしながら、鹿児島の菜の花畑やら、熊野の田園風景やら、萩の島々やら、伊部の備前焼の里やら見ますと、やっぱり観光で行っているのだけれど、生活に根差した価値あるもの、というのが価値なのだなと思わされます。

交差点のサンドウィッチ屋の雰囲気とか、装丁が雑な本の並ぶ本屋とか、無暗に巨大なホームセンターとか、作りの粗い文房具とか、映画館のポップコーンとか。そういう周囲のもので影響を受けたものって些細なことでも山ほどあった気がします。

だからやっぱり高校時代に、ああいう割と地価の高そうな、坂本龍一氏の家があるような、郊外の閑静な住宅街を体験したことも意味があって、多分、今こういう仕事の内容も固まって来て、趣味嗜好も絞られてきた状態で接するニューヨークっていうのは、全く別物というか、仮にニューヨークが変質していなくても、僕が変質しているわけだから、当然違う物差しで測るべきなんだろうと感じます。

むしろ今のニューヨークにも、僕の心の琴線に触れる魅力的なものはたくさんあるのでしょう。そういうこと考えるとワクワクしますが、明日明後日出掛けたいという衝動にはなってませんから、もう少し寝かして温めておきたいと思います。

最初の電話の話に戻りますが、今日一番驚いたのは、Columbia Universityの卒業証書って、英語じゃなくてラテン語なんだって。カッコいいわー。

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