2009/7/13

マニフェストについて思うこと

マニフェストって結構一般的になったのかなあと思います。発端は東国原宮崎県知事が県知事に当選した時の「そのまんまマニフェスト」ではなかったかと思いますが、よくよく考えればそれまでの選挙って基本的に公約というのは口頭契約だったのですね、恐ろしい。

とは言え、マニフェストというものは読んでみても感心するほどのものではないです。言葉を選ばずに言えば上っ面な言葉が並んでいるだけ、という感じがします。選挙で得票するためのニギニギがそこかしこに感じられて、心理的には不快な気分にもなったりします。

ヴィジョンを語ることは正しいのですが。

ただ、今のマニフェストって、小学校の生徒が生徒に「誰か日本を良くするアイデアがある人は挙手して発言してください」くらいの野放図だと思うのですよね。小学生なら夢があって純粋さがあって、それはそれで美しいと思うのですが、大の大人が「~したい」という話だけしていても、ちょっと気持ち悪い。

じゃあ何が必要なのかと言いますと、僕は政策の長所と短所を箇条書きでもいいから示したらいいんじゃないかと思うのです。そもそも八方美人な政策なんてあり得ないわけで、そんな万能な方策があればとっくの昔に実施しているわけだし、基本的には誰かが得すれば誰かは損するし、誰かが楽すれば誰かに苦を伴う、というのが政策というものだと思います。長所の数だけ短所の数もあるはずです。

別に全部の政策をSWOT分析で示せ、だなんて面倒なことは言いませんが、せめて国民の皆さんのためになることです、みたいなのっぺらぼうな話はやめるべきだと思います。政策というとついて回るのは実現可能性と財源の話で、糾弾されるのはそこですけど、「やると言ったらやる」でいいんです、それこそビジョンというものは。ある程度の目論見があってそういうことを打ち上げているのだろうし。むしろそういうことを言っている人が、常識的な視点でその政策の長所と短所をきちんと把握した上で、短所として挙げられている事由より、長所として挙げられている事由の方が、将来の日本にとってプライオリティが高いんだ、なぜならこういう日本を作りたいから、っていう話なら好き嫌いは別として納得性は出てくるんだと思うんですよね。

ただ小泉元首相みたいに「改革には痛みを伴う」って言ってるのもいいんだけど(あれはあれである種民衆を鼓舞する力のあるフレーズだったわけで、結果は別として)、痛みを伴うなら要素分解して、痛みをきちんと整理する責任もあるんじゃないかなあと。

話の起承転結で言えば、まずやりたいことがあって、それによる長所があって、けれどもそれに伴う短所もあって、だけれどもやることにはこういう意義がある、って話になれば、きちんと起承転結のある物語として4分割で構成できるじゃないですか。お笑いの講義を受けてスピーチ力を身につけるのも結構だけれども、まずもって話の筋道をきちんとつけるための誰しも知っている基本的なことを実践した方がいいと思うのだけれども。

日本の政治がマニフェスト覚えて、ちょっと時間も立ったわけですから、今度のマニフェストはもう少し先に進んだ責任の果たし方を見せてもらいたいものです。

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