2009/7/2

Social Beingについて考える – 脱メディア思考のススメ

こないだネットで英語の記事読んでまして、ああ、こういう言い方があるんだとピンと来たのが、「Social Being」という言葉でした。ちょっとニュアンス的な問題なんだけど、「Being Digital」が「Being Social」になりましたって標語的視点ではなくて、何と言うか「Social Being」という概念の存在に気付かされた、ということです。

思い返してみると、以前、CSRがあるんだから、PSR(Personal Social Responsibility)もあるでしょうということで、「ソーシャル社員」という記事を書いているのですが、着眼点はそれに近いのかも知れませんが、もっと莫とした社会的な存在の在り様みたいな話です、これは。

TwitterとかTumblrとかやってると、それらに対する「メディア」としての認識よりも、発言したり引用したりしている「誰か」に興味が映っていることに気付きます。言わばその人の「Social Being」に注目しているという状況。

昔は情報ってネットに限って言うと、ニュースサイトで取得するもので、そのあと、個人サイトやブログが登場して来て、その辺りまではメディアという感覚でしたが、その後はむしろ、自分が興味がある人、自分に興味がある人の、それこそ生き様というか、そういうものが気になっていて、「ツールがメディアを超える日 = 私的Twitter論」にそういった話はまとめました。

勿論、ニュースサイトも個人サイトもブログも無くなるわけじゃないですが、そういうものを土台として、ライブストリーミング的に行われるTwitterみたいなものでのコミュニケーションの方が主戦場に移ってきたように思います。

ちょっと前に梅田望夫氏が「日本のWEBは残念」と言っていたという記事が話題になりましたが、そもそも「日本のWEB」とかを語る意味ってあんまりないんじゃないかというか、そういう総論よりは、それぞれの人の周辺にあるWEBがそれぞれ面白いのかつまらないのかということの方が重要で、それって最早WEBってことに限った話ではなくて、じゃあ何かって言えば、ほらその人の「Social Being」なわけですよ。

「日本のWEB業界は残念」とか、「日本人はつまらない」とか、そういうことであれば、とりあえず論点として成立するとは思うのですが、「日本のWEBは残念」ということは論点として最早成立し得ないフレーズなのではないかと感じます。

PVが多い記事だけ上から順に読んで行ってもメディアとしては嬉しいのでしょうが個人としてはちっとも意味がなくて、PVが多い記事には意味があるのだけれど、PVが多い記事の中から、「興味がある誰か」がクリップした記事を横に繋げて読んでいく方が有意義だと思うのですよね。そういうやり方に一番適しているのがWEBだというだけで。記事だけじゃなくてあらゆるモノ・コトがそういう風に伝播していく。

とすると、メディアになる、とかメディアを作る、とかいうことよりも、アナタのSocial Beingを充実させる、とかブラッシュアップする、ということの方がこれからの時代重要になってくるのではないかと思いました。むしろメディアというものはその一助でしかない。

「いつでも」「どこでも」「誰にでも」みたいなことがあたかもインターネットの魅力のように言われ続けてきましたが、「今だけ」「ここだけ」「あなただけ」みたいなことの方が大事だと思いません?One To Oneマーケティングみたいなことだけでなくて、あらゆる情報が、各人が編集というフィルタを通すことで、そうなりつつあると思うのです。だから脱メディア思考とか言ってみました。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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