2009/6/12

帰属するけど依存しない

自分の口から出てきた言葉なのですが、今日初めてお会いする方と食事してまして、ふとしたきっかけでそんなフレーズが出てきて、昔から僕の中にはあった言葉だけど、まだ文章化してないなという内容だったので、この機会に文章にしておこうと思い立ちました。

人生で尊敬する人って何人かいます。その中の一方に敬虔なクリスチャンがおられまして、僕は完全純粋培養無宗教なのですが(一応、家の宗派みたいなものはありますが)、その方に「宗教みたいなすがるものがあるのっていいことですよね」、みたいなことを言ってしまったことがあるのです。その時に言われたのが、「宗教にすがるのはまずい、行動規範としては有用だけれども、身を委ねるものではない」というような訓戒を受けました。

これを自分の言葉にすると「帰属するけど依存しない」ということなのではないかと思います。「教え」って人が人間らしい営みを送っていく上で、それが宗教なのか哲学なのか倫理なのか憧憬なのかロールモデルなのか、色々あるのだと思いますが、帰属はしても(それはある種の安心感をもたらしますし)、依存しないという感覚は大事なのではないかと思います(それはしばしば堕落を招くのかも知れません)。

なまじ、フリーランサーなので、いわゆるサラリーマンの人を引き合いに出すのもはばかられるのですが、僕が好んで付き合っている会社員の方って、確かに会社への帰属意識は持っておられるんだけれども、あまり依存していない。自立していて自律していて、会社への所属がある限り、その人の発言はある種会社を代表しての発言になるのだけれども、それは会社の価値観にそのままもたれかかっているものではない。

逆に危機的なのは、企業風土という惰性の中で、しばしば帰属を通り越して依存になってしまっているケースです。ある種、自分の行動規範とか倫理とか価値判断の尺度を会社の風土とか文化とかもっと言うと利益みたいなものに依存して、それが自分の正義になっちゃっている。こういうのは危険だと思うのですよね。

勿論、As A Memberという感覚は大事で、チームで組織で仕事をしているのだから当然その会社にフィットするべきだろうし、それは必ずしも没個性ということにはならないと思います。ただ時系列の流れの中で、それがしばしば依存に働く、というのは没個性とかいう前に「行動規範とか倫理とか価値判断の尺度の喪失」ということに繋がりかねないと思うのです。

社会学的に言うと、社会学の中での最小規模の集団と見なされるのは「家族」なわけですが、学校とか企業とかサークルとか勉強会とか色々な集団に多かれ少なかれ人間が社会的な動物である以上属していると思うのですが、軸足が自分のところにあればいいですが、しばしば両足が帰属集団に移ってしまうことがあります。

ただ社会学的に定義する集団の行動規範とか倫理とか価値判断の尺度とかって絶対的な正義じゃないんですよね。絶対的な正義なんてそもそもないわけですが、自分に軸足を置いていると、人って常に絶対的な正義ってことを懐疑的に問答しながら生きていけると思うのですが、母集団に完全に依存してしまうと、あたかもその母集団が正しいということが自分がそこにいる限りの絶対的な正義ということに変質してしまうと思うのです。

社会に出ることを社会人になると言いますが、社会人って日本人の社会的な活動をしている人全てと親密な接点を持てるわけじゃないじゃないですか。むしろ社会的な集団に帰属する、組み入れられることで、「目に見える社会」というものはどんどん狭くなっていく。メディアを通じての社会像と、自分の目の前に見える社会像がどんどん乖離していく。そうすると大きな意味での社会とか世界に対する主体性が減退していくんだと思うのですよね。

食品事業者の度重なる偽装とか、官僚のあり得ない不祥事とか、そういうことって帰属した組織にある一定のタイミングで依存し始めてしまった結果なのではないかと思うのです。社会の構成員であるという自覚は大事で、企業や官庁の構成員であるという自覚も大事なのだけれども、そういうものに自分の主体的な感覚が引っ張られないように、吸い込まれないように、という警戒心は絶対必要だと思うのです。でも眼の前の仕事やトラブルに忙殺されてしまうと、しばしば得体の知れない論理を正義として振りかざさざるを得ない局面て出てくるのだと思うのです。

日本というのは宗教的に極めて薄い国になって来ています。それは宗教と権力が密接に結びついた上で、時の権力者がその威勢を削ごうとしたという意味ではキリスト教社会や中国のことなども同様だと思うのですが、特に日本の近代、廃仏毀釈に始まって、戦後のアメリカ主導の教育への流れの中ですっぽり抜け落ちてしまった世界的に見ると稀有な国です。

そのこと自体に僕は強烈な問題意識を持っているわけではないのだけれども、宗教を信じているからこそ、その他の帰属している集団に依存しなくても生きていけるという、ある種の「依存エクスキューズ」としての働きが宗教にはあると思うのです。そういう意味で僕のように宗教を持たない人間は「帰属するけど依存しない」ということを意識しながら日々暮らしていかないと、あらぬ方向に引き寄せられてしまうことはあるのかなあと今日の話を通して思いました。

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