初恋くらいおぼろげな心持
同じ大学の出身ということもあり、非常に可愛がってくださるクライアントがおり、父親より年上なのにデータベースに詳しいというだけで非常に面白いのですが、今日たまたまこれまでの事業歴をうかがう機会がありました。セールスプロモーションの会社をやり、建築建設の会社をやり、データベースの会社も立ち上げ、今は美容と健康のメーカーをやっておられます。
その方と接していて勉強になることは山ほどあるのですが、感嘆するのは世の様々な事象に対する学術的な興味です。探究心、もしかしたら冒険心とかいうものかも知れません。研究者肌というわけでもありませんし(むしろ生粋の経営者肌なんだろうと思います)、トレンドを追っかけているわけでもなくて(最新の事例には当然お詳しいのですが)、目の前にこれまでに目にしたことがないものを見ると、論理的に構造的に咀嚼しようとする、そういう姿勢を持ち続けられる人、簡単に切り捨てない人が事業家でいられるのだろうなあと最近感じています。
僕の行動原理の一つに「人間に対する興味」があります。「人間に対する興味」こそが、コミュニケーションを生み、作品を愛で、幸せに生きることの源泉になると思っています。デザインということで考えても「一緒に乗る人を想像できない車」というのはちょっと寂しい、物悲しい。「何をするか」より「誰とするか」が重要だ、というのは僕の言葉ではないですが、きっとそういうことでしょう。
今日「君の仕事の信条って何だ?」と問われる機会がありました。あまりに唐突で、しかし本質的な質問で、答えに窮したのですが、「人に感謝される仕事人でありたい」ということと「Face to Faceで仕事をすることを大事にしたい」ということをお答えしました(信条と言えるほど、こなれた内容かどうか、今反復すると疑問ですが)。これはもしかしたら客商売をやっているが故の回答なのかもしれない。
初めにWEBデザイン、続いてブランディング、そこから派生的に他の媒体のデザインも、という流れは、冷静に考えると学生時代のボスの仕事の進め方をトレースしようとしているに過ぎないのかも知れません。仕事のDNA的なものは多分にボスからの受け売りで、気が付かないうちに体が覚えている道筋を辿っているような気がします。状況対応は僕の判断ですが、それこそ大筋はロールモデルの世界なんでしょう。
個人事業主という肩書きなので、知人に「自分で事業をやっているんだから」と言われることはありますが、自分では「事業をやっている」という認識は全く以ってありません。「インディペンデントコントラクター=独立業務請負人」という認識でいます。
子供の頃から夢を語れない人間でした。そういう意味では冷めていたのかも知れません。いや違うな。僕の夢より、僕の今を語りたい、見て欲しい、というタイプの人間だったのだと思います。「近未来」は描けるけど、「突き抜けた未来」までの跳躍力がないというか、そこに至るまでの想像力に持久力がないというか。「夢を語れる人間になりたい」というのは幼少期から今に至るまでのモラトリアムのような気もします。
今の僕の仕事のあり方というのは極めてプリミティブで、「明日仕事をするために、今日仕事をしている」というのが基本的なスタンスだと思います。目標だって「より多くのクライアントと出会って、よりよい仕事をしたい」というとてもシンプルなものです。日々の業務に忙殺されているわけでもないですし、それだけのことで毎日エキサイティングに過ごせているので有難いことなのですが、夢って語れないといけないよな、とも思うんです。
そんなことを考えていると「事業」という言葉はとても魅惑的に響きます。
よくよく考えれば僕のクライアントは皆さん事業家です。そういう人と日々接し、僕の「人間に対する興味」が日々そこに向いているのであれば、事業家というものへ淡い憧れを抱くのは、もしかしたら構造的に必然的なことなのかも知れません。
初恋くらいおぼろげな心持として、あります。

加藤 康祐 / 企画・設計
プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。
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フリーランスとして働き始めるってどういうことだったのか?フリーランスとして働くってどういうことなのか?フリーランスが目指すことってなんなのか?5年間の自分の経験から書きました。(2010年執筆)