2007/11/28

ソーシャル社員

「責任とってよ」と異性に言われたら冷や汗ものですね。けれども昨今の食品の偽装や官僚のゴルフ接待のニュースを見ていると、どうにも「責任とってよ」って言われることへの想像力が欠如しているように思います。

Personal Social Responsibilityという考え方が出てきてふと気付いたのは、Coporate Social Responsibilityがあって、Personal Social Responsibilityがあって、けれども組織の中にいる「社員」と呼ばれる人に対して、Corporate Social ResponsibilityがEmployee Social Responsibilityにブレイクダウンされているのかと思うと、また、Personal Social ResponsibilityほどにEmployee Social Responsibilityが個の責任を明確化しているかと思うと、ちょっと疑問が沸きました。勿論、いい会社はきちんとした社内倫理と法令遵守の考え方が徹底されていて、問題ないのでしょうけど。

ただ、工場長が独断で賞味期限を改竄していたとか、契約社員が個人情報を無断で持ち帰ってWinnyに流出したとか、何だか適当なラインで蜥蜴の尻尾切りをしている印象も否めません。独断とか無断とか言う修飾語は、弁護するべき何かの責任を回避するためのエクスキューズでしかないわけで。

勿論、入社するに当たっては、契約書にサインして、ルールは守ってね、とやるわけですが、それだけじゃどうにも足らない世の中になっている気がします。

そう言えば、『慶応義塾の目的』という福沢諭吉の著書にこんなくだりがあります。

義塾で学ぶ者は常に「気品の泉源、知徳の模範」となることで心身統一をなし、社会的使命を果たして社会の進展に寄与しうる「全社会の先導者」になるよう努めねばならない。

EmployeeではなくてStudentの話ですが、とは言え、組織の中の構成員においても「社会的使命」があるんだということに言及しています。もっとも日本は古来より組織の中の構成員としての意識というのは濃かったはずで、武士道とはつまるところそういうものだとも思います(新渡戸稲造以前の武士道)。金を稼ぐわけでも、物を作るわけでもなく、「奉公」をするという感覚です。

勿論、今の時代のEmployeeに「奉公の精神」が必要だとは思いませんが、自分がその組織に所属しているからこそ果たさなければいけない個の社会的使命とそれに伴う責任というものがあるんだ、ということを上司でも人事部でもコンサルタントでも良いですが(そういうやり方で今の日本が上手く回っていないのかも知れませんが)、機会を作って都度再認識する仕組みを作る必要があると思います。短期的な利益に相反することも含めてです。

何か大事になって責任取らされるより、そもそも問題が発生しないのが最良でしょうし、常に「責任とってよ」って言われることへの想像力は働いていた方がいいのではないかと。だから、警鐘を鳴らす意味も含めて、行動規範の中でのSocial Responsibilityのプライオリティを上げなくちゃいけない。

ですからソーシャル社員って考え方は必要だと思うんですよね。まあ「社会人」を言い換えただけだろ、という説もありますが。

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加藤 康祐 / 企画・設計

1980年1月12日生まれ。1998年よりデザイン会社のパートタイムアシスタントとしてWeb制作を経験。2005年に独立、フリーランスとして、企業、個人、NPO、独立行政法人など、様々な領域でのITやデザインによるサポート業務に携わる。2018年、加藤康祐企画設計を開業。これまでの経験を活かし、より広い視野でクライアントの問題解決に取り組み、クライアントと一緒になって新しい価値創出をし、平静な社会の実現を目指す。

加藤康祐企画設計

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