2007/7/26

シンプルなものは飽きないというのは本当か?

「飽きのこないシンプルなデザイン」なんてキャッチコピーを目にしますが、これって本当でしょうか。僕の周りでシンプルなものというと、W44KとiPod Nanoかなあと思うのですが、飽きる飽きないという話ではなく、実際のところ「気にならなくなった」という感じです。道具として透明になった感じと言いますか。馴染んだというか。こなれたというか。

透明ということで気付きましたが、シンプルということは0に近づけるということなのではないかと思います。0になってはいけないけれど限りなく0に近づける。シンプルということは言ってみれば引き算で、鉛筆の芯を削っていく、ボクサーの減量のような作業だと言えるかも知れません。

一方で装飾、デコラティブなことというのはしばしば足し算とも言えます。僕は存外デコラティブなものが大好きで、しかしその足し算が美しくなくてはいけません。装飾することは美しくするための作業で、無闇にゴタゴタしているものが美しいとは思いません。ゴタゴタも極めて精緻に計算されたものであれば、とても美しく見えることはあります。

ただ、シンプルなものであれ、デコラティブなものであれ、基本的な作り方は一緒だと思います。試行錯誤です。シンプルなものが世に流行るとしばしば危険なのは、しばしば足し算だけでシンプルなものを作ろうとする、という事象が起き得ることです。

足すだけ足してから引くだけ引いて、結果としてシンプルという絶妙なゼロの近似値がうまれるわけで、この数値を初めから足し算だけで目指そうとすると大きな齟齬が出る。もしかすると何も足されていない状態、即ち「ゼロ」でしかないということもあり得ます。

例えば絵画に目を向けてみると、近代までの絵画というのは非常に技術に裏打ちされた小手先のごまかしの効かない世界でした。評価されるために最低限身に着けておかなければいけないことがあったわけです。だから足す努力が惜しまれることはありませんでした。

デジタルの時代になって、この辺が少し揺らいで来た感もある。何となく「それなりのもの」を作れる世の中になった部分があります。勿論、プロの目を以ってすれば、「それなりのもの」と「それほどのもの」の区別は容易にできるのですが、誰もがそうではないわけです。

世の中的にデザインへの関心は高まり、デザインとの接点も増え、様々なデザインが溢れています。そんな中でシンプルなものを目にすると心を打たれる配慮を感じることもあれば、しばしばそうでないものを感じることもあります。

とりあえず、若いうちは足す努力も引く努力も怠らないことです。成果物に費やされた時間はしばしば成果物の完成度に反映されます。そしてそう言った練度が経験を経るに従って精度ということに変わるのだと思います。

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加藤 康祐 / 企画・設計

1980年1月12日生まれ。フリーランス歴15年。プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。学生時代にデザイン会社でWebデザインを経験。2005年よりフリーランスとしてキャリアスタート。これまでに個人から上場企業まで、100以上のクライアントとのプロジェクトを経験。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの編集・運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート等。趣味はラグビーと料理。Keep the head up, Bind tight & Stay low.

加藤康祐企画設計

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