2007/6/26

ネット時代の徒弟制度

徒弟制度なんて言うと、何だか古めかしく思われる方もいらっしゃるかと思いますが、師について物を覚えるというのは、何かを習得する上で古来から選ばれてきた方法で、かつ最も効果的な方法であるように思います。

科学だって、先人の知恵が累々と蓄積されてきたもの。口伝によって継承されてきたものが、累積し、人の知というのは進歩していくものです。Isaac Newton氏の有名な言葉に「もし私が他の人よりも遠くを見ているとしたら、それは巨人の肩の上に立っているからだ」というのがあります。

今では写本は必要ないですが、幕末の人たちは知のリソースが絶対的に足りないがゆえに、「写本」を通じて洋書からの知識を得ようとしました。日本には古くから「写経」という文化がありましたから、幕末の人たちにとっても学びやすかったのでしょう。今は本がありインターネットがあり、知のリソースが無限大に広がる世界です。

しかしながら、僕はやはり師を持つことはとても重要だと思うのです。本やインターネットは知のリソースとして確かに有用で体系的ですが、人の手によって実務のフレームワークに則して咀嚼されたものではない。これは、ただそこにある「知」と比べて、大きな違いだと思うのですよね。

師匠を持つことの重要性は個人的に身に染みて感じています。知識や知恵というより、むしろ体温や呼吸や皮膚感覚というレベルで師に倣い師に学ぶということは、「巨人の肩に立つ」ということに他なりません。確かに、修行は苦行で、我慢をしなければいけないことも多々ありますし、忍耐を求められることも多々あるでしょう。それでも「人」を通して学ぶことは、その他の「媒体」を通して学ぶことよりずっと価値があることというのが僕の経験則です。

インターネットがこうした徒弟制度に及ぼす影響は、様々な才能との接点の拡大に他ならないと思います。昔から、「師」となれる人は一握りの人で、また「師」と呼ばれるような人と繋がれるきっかけも、ごくごくわずか、限られたネットワークにおいてでのことでした。

しかしながら、インターネットの登場によって、より尊敬できる人、即ち「師」と崇めることができる人の思考に触れるチャンスが増えました。このことは、個人の成長を促進するばかりか、人類の進展に大いに寄与する部分ではないかと思います。

日本の「道」、茶道、華道、武道と言ったものは、元より非常に閉ざされた、悪く言うと殻に閉じこもった、閉鎖的なものでした(近年は前衛的な人が様々な分野で出現し様変わりしてきましたが)。少なからず、師につくということはこうした「道」に入るのと同義で、専門性を高める反面、視野が狭まるという弊害も持っていたと思います。

しかし、インターネットを通じた緩やかな繋がりという意味での徒弟制度は、「道」に入らずとも、その人の専門性を吸収しつつ、更に視野を広めることができる、そう言った可能性があると思います。昔ほど「縛り」が少なくなったということが言えるかも知れません。

その上で、僕はやはり実社会において、師を持つというのはなにものにも変え難い価値があると思います。師の一挙手一投足を観察し、その人を取り巻く空気を共有し、思考回路や人生哲学をなぞるという作業は、「人」という知のリソースを「とことん学び極める」という意味で重要なことだと思います。オリジナリティを模索するのは「巨人の肩」に乗った実感がわいてからでいいと思うのです。

ですから、「これぞ」と思う人に師として教えを受けつつ、他分野の色々な「才気溢れる人たち」からの刺激も掻い摘みつつ、人としての歩みを進めるというのが、こういう時代に生まれた僕らの特権なのではないのかなと思ったりしています。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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