2007/5/1

デザインは事件か?

「芸術は爆発だ!」という岡本太郎氏の言葉はあまりにも有名ですが、最近僕が気になるのは「デザインは事件か?」ということです。例えばコンセプター、坂井直樹氏のBe-1、PAO辺りは、それ以降急激に「丸いデザイン」がカーデザインの主流になったことを考えると、車のデザイン史における事件かも知れません。Dysonの掃除機は家電のデザイン史における事件かも知れませんし、2 Advanced StudiosのWEBサイトはWEBのデザイン史における事件かも知れませんし、AppleのiPodは携帯音楽プレイヤー市場というソニーが切り開いた牙城を突き崩し趨勢を一変する事件だったように思います。

ただ歴史的にはデザインがバウハウスで生まれて100年ほど、そしてデザインというものは工業製品と共に歩みを進めてきましたから、商品パッケージとして世の中的に事件性があっても、それが必ずしもデザインの功績であったり、デザインそのものを事件と呼べるかと言えば必ずしもそうではないのではないかと思うのです。

マーケッターやプランナーはコンセプト立案の過程において、「事件と成り得るデザイン」というものを模索するのではないでしょうか。しかし常々デザイナーが制作物に事件を求めているかというと必ずしもそうではないと思います。

無印良品などは逆に「事件性を排除する」ことを突き詰めてブランドとして成功しているのだと思います。当たり前のデザイン、しかしこの当たり前をどう表現するかということには、デザイナーが多くの労力を注ぎ込むところでもあるように思います。また突飛なアイデアよりクオリティとコストのバランスのとれた商品群というのも、無印良品ブランドの特徴で、そこにデザイナーの努力も見て取れます。

デザイン史において試金石、金字塔となっているデザインは多くあります。しかし一般の視点から考えればそれはごく僅かなものに過ぎず、多くのものは商品の魅力を最大限に活かすという当たり前の取り組みの成果としてのデザインになっているのだと思います。

最近、深澤直人氏や佐藤卓氏デザインの所謂「箱型」の携帯電話がブームになりました。しかしこう言った原点回帰的なトレンドはグローバルな視点で見るととても特異で、NokiaやMotorollaの最新の携帯電話を見てわかるように、世界のトレンドは曲線美を活かしたスタイリッシュなフォルムの携帯電話で、日本のように直線的なものへの回帰というのは見られないそうです。

東京の建物は5年で25%が立て替えられる入れ替わるという統計があるそうです。20年で東京の全ての建物が生まれ変わっているという計算になります。日本がデザイン大国と言われることはあまりありませんが、しかし確実にデザインの新陳代謝が早い国であり、大量生産大量消費の工業生産と結びついて発展してきたのがデザインということですから、めくるめくかわるがわるデザインが生まれ綻び朽ちていくというスパイラルが日本にはあるのです。

ですから世の中的に「デザインは事件である」ということはやはりごく限られたものにしか当てはまらない事柄だと思います。工業デザイン然り、商業デザイン然り、それぞれが事件を標榜しつつも、事件として扱われるデザインはごくごく僅かです。

ただ一人のデザイナーとして、事件を起こす気概や、事件と成り得るスキルを、その仕事に盛り込むことは常に必要でしょう。デザインというのは「技術」ですから、そこに「革新」がないと廃れてしまいます。

事件は起こそうと思って起きるものと、世の必然として起こってしまうものとの2種類があります。デザインにおける事件というのは前者でもあり後者でもある。制作者が意図して事件を図らないと起こり得ませんが、そこに世の必然が介在しないとブームとなって万人に知れ渡る事件とは成り得ません。

ですから、そういう野望みたいなものを心に秘めつつ、しかし顧客のニーズにも応えつつ、デザイナーはしかし歴史に残るような事件を画策しないといかんのですね。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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