2020/12/8

社会復帰 – 治るとは働くことである、働くと治ったことになる、の誤解

今、中井久夫さんのエッセイを読んでいて、1980年に書かれたものだけど(僕が生まれた年!)、この記事のタイトルの内容が書かれていました。「治るとは働くことである、働くと治ったことになる」というのはだから、社会からの理解も含めた、古典的な誤解なんですね。似たようなので、「治るとは薬を止めることである、薬を止めると治ったことになる」というのもあるけれどこれも違っていて、うーんだから、働けるとか、薬を止めるとか、わかりやすくて人にも説明しやすいから、そこに救いを求めがちなんだけど、それって働けるは働けるということでしかないし、薬を止めるは薬を止めることでしかなくて、病気が治るということではないですね、というのは今ではよくわかります。

最近、ワークシックバランスという言葉を啓蒙しようという動きを知って、これはワークライフバランスという言葉に対応して、仕事の環境における病気の理解や、仕事と病気との付き合いのバランスを図っていこうということだと思うのだけれども、良い考え方ではないかなあと思います。多くの人が、特に年齢を重ねてくれば、病気を抱えることになりますし、ましてや今、コロナ禍で、病気に対する考え方が大分変わってますよね。

有り体に言うと、統合失調症を抱えていても仕事はできるなと思います。ただ、僕はあくまでフリーランスで在宅で、まあこのスタイルしか20年ほどほぼやったことがないわけだけれども、体調崩して半年くらいで仕事戻っていましたし、そこまでパフォーマンスについて指摘が入ることもないかなと思います。ライフスタイルやワークスタイルは人それぞれだと思うけれども、急性期の病状が鎮静化してそれなりの休息を挟めば仕事はできるな、そういう感触はあります。

ただ、仕事できても病気が治ったわけではない、というのが実際で、最初に書いたとおりなんだけれども、この2年間を振り返っても、僕の場合は陽性症状がしばしばありましたし、結構それがひどい時も今年の上半期などはあって気をつけていたのだけれど、ちょっと今日鼻がムズムズするかなくらいの感覚で幻聴が聴こえたりするので、なかなか厄介です。毎日、人と緊密に折衝するような職場での仕事なら、もっと影響が出て来てしまうかも知れません(これを怖いもの見たさみたいなのでやる気はない)。

寛解という言葉がありますが、比較的穏やかな状態は、あまり病気を抱えない人と比べても違いがないように思えて、仕事もできるし、ラグビーもできる。一方で20代の時は、社会復帰するんだ、仕事に戻れたんだ、だから、病気は治ったんだ、みたいになっちゃってたところがあって、ただ、「一度治ればもう二度と繰り返さない」ようなことでは決してないということですよね。僕の生まれた時に中井久夫さんは既に語ったおられたのに!自分の力で働いて人並みの生活を送りたいみたいな気持ちの問題もあって、健全な病識を携え続けるというのは、案外、なかなか難しい。

社会に居場所を見つけ直す、みたいなことみたいですね、社会復帰の意味って。働けるようになる、ということではなく。

幸いなことに仕事もラグビーもそれなりに充実しているし、生活もつつがなく回っているので、そういう意味では困っておらず、そういう意味では社会復帰できているという気もするんですが、その状態をやはり数年維持する維持し続けるということが大事な気がしていて、今は3年をマイルストンに置いています。

昔は今ほど病気への社会的な理解も進んでいなくて、働かないことを揶揄されたり蔑視されたりすることもあったみたいだけれど、働けるか働けないかというゼロイチではなく、体調を崩す前よりゆとりのある状態で、仕事や生活を回しながら、社会に自分の居場所を持てること、みたいなことが、大事なのかなあという気がします。そういう意味じゃSNSとかが補填している部分も大きいのかも知れないですね。

一生懸命になったり、夢中になるのは良いことだと思うのだけれど、なんかこういう冷静さを取り戻させてくれるようなハッとするフレーズは大事だと思いましたとさ。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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