2020/1/28

自由と分際 – あるいは、フリーランスと謙虚さ

「分際をわきまえろ!」という叱り文句があるくらいだから、ネガティブワードなのかなあとも思うのだけれど、最近、気になっている言葉に「分際」ということばがあります。不相応とか、身の丈に合った、身の程を知る、みたいな言葉も類語だろうか。もともと、封建制度の中で身分をわきまえた行動をするというような倫理観に端を発した言葉のようです。だから謙虚、ということを言ってるんだな。

自由と不自由、ではなく、自由と分際

フリーランスになって長く経ちますが、自由と不自由という対比より、実は自由と分際の対比、ということの方が何か新しい気づきを生むのではないかと思いました。端的に言うと、フリーランスなんてのは自分の分際というのを把握しづらいのではないか。年齢、年収、所属、江戸時代じゃないから封建制度の中で生きているわけじゃないけど、それでも何か社会におけるPositioningの持ち方、置き方というのはある気がしていて、一方で、世はDiversityを包摂することを求めていると。多様で自由で柔軟に、という世の価値観の変化は、人それぞれの分際をわかりにくくしている可能性もあるのかなあと。

分際をわきまえることの美徳

分際をわきまえることの美徳というのは、先に言ったように「謙虚」であることかなあと思います。ネットの言説をはじめとして、対人関係にあって、謙虚であること、って大事なことですよね。謙虚さがどうやって生まれるかというと、誇張したり、虚飾したりしない、自分の分際をしっかりメタ認知して、分際をわきまえた行動をする、ということかなあと思います。「ありのままの自分」みたいな言葉が流行りましたが、そういうことでもなくて、社会の構成員として、コミュニティの参加者として、もう少し相対的に決まって来るのが「分際」だろうか。

分際とノブレス・オブリージュ

ことさらに自分を大きくする必要もないですが、ことさらに自分を小さくする必要もなくて、この分際ということが決まってきた時に、大事な感覚がノブレス・オブリージュということかなあと思います。ちょっと貴族趣味的な言葉だから、もっと平易にするとGood Citizenship、良い市民であること、というようなことだろうか。税金納めることからしてそうですし、本来的に人間はその人の「分際」に合わせて、様々な要請を社会から受けていて、そういうものにきちんと正しく応えていくこと、って当たり前だけど大事なことかなあという気もします。

まとめ

「分際」普段あんまり考えないことだけど、「謙虚」であろうとしようとした時に、自分の「分際」を定義できていたり、理解できていたり、っていうことは大事になってくるんじゃないですかね。そういう意味でいうと、フリーランスというのはいかにも所在のないことだけど、それでも自分の「分際」をわきまえて行動することが自ずと求められている気もします。働き方改革を持ち出すまでもなく、世の中は自由に流動的になっていくけれど、それぞれが「分際」を見えなくなって来ると、「社会の謙虚さ不足」みたいなのが起きて来るのかな、そんな危惧も感じます。

社会が明示的に自分の分際を宛てがってくれるわけでない自由な社会でこそ、分際をわきまえる、ということが大事なのかも知れません。

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加藤 康祐 / 企画・設計

1980年1月12日生まれ。1998年よりデザイン会社のパートタイムアシスタントとしてWeb制作を経験。2005年に独立、フリーランスとして、企業、個人、NPO、独立行政法人など、様々な領域でのITやデザインによるサポート業務に携わる。2018年、加藤康祐企画設計を開業。これまでの経験を活かし、より広い視野でクライアントの問題解決に取り組み、クライアントと一緒になって新しい価値創出をし、平静な社会の実現を目指す。

加藤康祐企画設計

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