2020/1/20

豊かさ会議 – 「枯れる」

先日、Twitterでお金の価値が相対的に低くなっている、というようなフレーズを見かけました。タワーマンションに住んで、高級外車に乗って、三ツ星レストランで食事して、ビッグメゾンのコート着て。。。確かに画一的な「贅沢」に豊かさを見出しにくい時代になったという気はしています。無論、お金は便利な道具で、あるに越したことはないのだけれども、なんかそういうことだけでは満たされないような。前の10年では「エシカル消費」「丁寧な暮らし」「自給自足」「古民家改修」「マインドフルネス」みたいな、ちょっと経済社会に抗うような言葉も流行りましたし、時代の気分みたいなものも大分変わって来たのかなあと思います。

個人の趣味嗜好においても変化は必然で、最近、考えているのが「枯れる」ということ。際限のない成長や向上を模索するだけでなく、少し「枯れる」ことって必要なんじゃないかなあと思うのです。40歳になって、老衰します、というわけではなく、良い意味で、「枯れる」ということにも向き合っていかなくてはいけない、なんか、そんな時節なんじゃないかなあという感じがしています。

生活が「枯れる」

例えば、「土鍋でご飯を炊く」、「豆を挽いてコーヒーを淹れる」、「肉だけでなく魚を料理する」、「野菜を産地から取り寄せる」、何となく今生活の中に豊かさを感じることというのは、あまり派手でない、ちょっと手間や時間のかかる、生活の基本的な部分の見直しではないかという気がします。食事の献立もどんどん地味になっていくし、道具も新しいものを手に入れることよりも、今ある道具を長く使うことに興味のシフトが移っている感じがします。

仕事が「枯れる」

仕事が「枯れる」なんて言っちゃうと、なんだか景気が悪い感じがしますが、これもある気がしていて、やれ上場だとか、やれ年収2,000万だ、やれ圧倒的成長だ、やれ社会を変えるんだ、みたいなことより、自分のクライアントと長く付き合ったり、丁寧に付き合って、無理のないエコシステムを中長期的に持続させていくようなことへのシフトがあるんじゃないかなあという気がします。良い仕事をするための、適切なサイズ感を見極められるようになるというか。過負荷にならずに仕事を継続できるスタイルというのは20代30代の熱狂と比べると、「枯れる」ということなのかなあと。

家族が「枯れる」

現実問題として年を重ねると、家族は高齢化していくわけで、親も仕事を引退したり、年金生活に入ったりすると、そういうことに足並みを揃えたり、手伝ったり、みたいなことも出て来ますよね。自分が年を重ねていくだけでなく、家族として年を重ねていくということがあって、生活のこととか、健康のこととか、病気のこととか、上手に枯れていかないといけないのだよなあと思います。

まとめ

「枯れる」のも技術だと思うんですよね。歳を重ねていく中で肥大化したエゴは、あまり好きな言葉ではないけど「老害」を生む気がして、ただ、「枯れる」というのはエゴのダウンサイジングとも言えて、「枯れる」というのは「老害化対策」でもある気がします。勿論、無気力で何もしません、じゃだめだろうけど、なんか趣味的なこととか、志向的なこととかを、上手に「枯れる」、そんなフェイズがあると思うのです。結果的にそれが年齢や時代にあった「豊かさ」を見つめ直すことにもなるんじゃないかなあと。

美しく枯れたい、ですね。

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加藤 康祐 / 企画・設計

1980年1月12日生まれ。1998年よりデザイン会社のパートタイムアシスタントとしてWeb制作を経験。2005年に独立、フリーランスとして、企業、個人、NPO、独立行政法人など、様々な領域でのITやデザインによるサポート業務に携わる。2018年、加藤康祐企画設計を開業。これまでの経験を活かし、より広い視野でクライアントの問題解決に取り組み、クライアントと一緒になって新しい価値創出をし、平静な社会の実現を目指す。

加藤康祐企画設計

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