2019/11/10

Freelance Chronicle – 15年の振り返り

さてはて、時が経つというのは早いもので、25歳に独立して、かれこれ15年の月日が経とうとしています。この15年間、色々ありましたが、結局一貫して言えることは「フリーランス」をしていた、ということで、まだまだフリーエージェント社会黎明期の頃から、フリーランスという働き方が当たり前になり市民権を獲得しつつある今に至るまで、ああなんか長い付き合いになったな、フリーランス、という感じがします。デジタル・ネイティブという言葉があるけれど、僕はそういう意味で言うと「フリーランス・ネイティブ」で、フリーランスとしての働き方をここまで続けて来れたこと自体も、一つの可能性を示せたということかなと振り返ります。

この背景には色々なことがあって、通信やインターネット、SNS、クラウドサービスなどテクノロジーの発達に下支えされたところもあるし、ワークスタイルやキャリア、契約に対する世の中の考え方の移り変わりや、更にはライフスタイルや暮らし、人生のプライオリティの置き方の変化などの影響もあって、最初はすごく社会でマイナーな位置づけだったフリーランスが、徐々にマイノリティではなくなっていく、そんな感覚を覚えながらの15年間でもあったように思います。フリーランスであること、そのこと自体が特別なことであった時代は終わった、そんな感じもしますね。これって実はインターネットの登場を受けた社会の大きな変化、でもある気がしていて、1990年代のインターネットの登場はやはりインパクト大きかったし、その後の20年くらいのワークスタイルやライフスタイルの変化は、その振り戻しも含めて、大きなものだったように思います。

Experience Transporters(個人事業)、ET, Inc.(法人)、そして加藤康祐企画設計(個人事業)と、事業体の変遷こそあれ、誰にも雇われず、誰も雇わない、言わば「傭兵」としての15年間を過ごして来ました。フリーランスという言葉の語源を辿るとFree(拘束されない)+Lance(槍)という風に分解できて、戦争のたびに雇われ編成される傭兵は、プロジェクトごとにチームを結成し問題解決に当たるフリーランサーとして、今の時代を生きていると言えます。

2005-2012 Experience Transporters – 自分のクライアントを持つ

さすがに学生時代の話はもう良かろうと思うのですが、僕はビジネススキル全般とWebサイトを作る技術については、学生時代のアシスタントの仕事で素地を身につけました。とは言え、大きく変わったのは25歳の独立してからでした。同じような仕事、例えばロゴを作ったり、Webを作ったり、というような仕事でも、自分のクライアントを持つと、要求されることというのはとても大きく変わります。ヒアリングするのも、費用を見積もるのも、作るのも、納めるのも、全てが自分の仕事になります。営業であり、コンサルタントであり、デザイナーであり、エンジニアであり、経理である。今もこのことは何ら変わりませんが、アシスタント、というとても雑多な業務を、大きく拡張したのが「自分のクライアントを持つ」ことでした。一人でやる、ということは僕にとっての「決め」だったので、組織の人から見ると「なんでも屋」に見えるのは、当然のことだったのかも知れません。

Experience Transportersに目標があったとすると、クライアント・ビジネスを突き詰めようということでした。当時の僕にとっては「営業」がとても大事で、どうしたらクライアントの問題解決ができるのか、ということに取り組んだ7年間でした。結果的に僕の提供できるソリューションはWebサイトにかかることがメインだったけれど、パソコンやSNSの使い方から、システムの開発まで、見る範囲は広かったように思います。一方で学び得ることも多くありました。特に色々なビジネス、活動のことをヒアリングできたことは大きく、クライアントの業務領域も多岐に渡っていたため、多種多様なジャンルを経験することができ、ビジネス・エンジニアリング・クリエイティブという3つがある時に、特にビジネスにかかる部分はクライアントから吸収したことが大きかった、また咀嚼する力を鍛えることができた、と振り返ります。

7年間で中小企業を中心に50クライアントほどを経験することになり、また収入もそこそこ見込めるようになったことから、Experience Transportersは次のフェイズに進みます。それが、事業の法人化でした。

2012-2014 ET, Inc. 前期 – Web屋の殻を破る

2012年、株式会社イーティーを設立します。勿論、これはそれまでの個人事業主を承継するもので、「ET」は「Experience Transporters」の略です。それまでずっとクライアント・ビジネスに注力して来たのだけれど、一方で「Web屋」にとどまることは可能性を押し留めてしまう感じもしていて、何か新しいことにチャレンジしてみようとした時期だったと思います。具体的にはインタビューサイトの「ET Luv.Lab.」、業務管理アプリの「ET withwith」、ECサイトの「wakka」、などが立ち上がり、写真の展示をしてみたり、また、東日本大震災を受けて、地震防災サイト「ユレッジ」もスタートしました。

この時期同時に「社会起業」とか「ソーシャル・ビジネス」への関心が高まり、「えと菜園」「Lalitpur」そして「カナエール」とそれを運営する「Bridge for Smile」などのサポートに割く時間が増えることになります。自分自身、つまりETで行うプロジェクトと、社会性の高いプロジェクトのサポートとで、特に自分の専門領域であるWebの分野で注力しました。

勿論、継続的にクライアント・ビジネスには取り組んでいて、WordPressを中心としたCMSの導入の仕事に取り組みました。また、Experiene Transporters時代はほとんどの作業を自分で行うソロ・プロジェクトが多かったですが、ETを立ち上げてからは、それだけでは及ばない部分あり、チームで取り組むことが増えるようになります。年齢的なことも含めてフリーランスの仲間も増え、プロジェクトごとに様々なフリーランスのチームで仕事に取り組むことを覚えたのもこの時期だったろうと思います。

2014-2018 ET, Inc. 後期 – リソースの分割

会社を設立してからの数年間は大回転で、かなりの量の仕事をしましたが、途中、大きく仕事を組み替えます。それまでは自室オフィスでの仕事が原則でしたが、週1回ITベンチャー企業に席をいただいて、訪問の形で「UXデザイン」の仕事に取り組むようになったこと。もう一つは児童養護施設を退所した若者のための奨学金支援プロジェクト「カナエール」でイベント集客のための「プロモーション」に関わるようになったことでした。ETの前期で取り組んで来たことはある程度クローズし、この2つに大きなリソースを割くことに決めて3年ほどを走りました(勿論、これまでのクライアント・ワークも並行して継続していました)。取り組んだことによる成果も、自分の要求水準をクリアすることができていたと思っていて、充実した日々でした。

Experience Transportersを開業した時には、まずは一社のクライアントからというところに「収束」したものが、ET, Inc.の設立で、色々なプロジェクトに関わることで「拡散」し、もう一度、リソースを割く対象を決めて「収束」に向かった、というのが大きな流れだったのかなと思います。収益的にもある程度安定し、新しい専門性にチャレンジできた時期でもありました。Webのことしかできなかったスタート時点から比べると、Webにかかわらず、企画の仕事に幅を持つことができるようになり、自分のスキルをフルスペック稼働させられるようなプロジェクトに恵まれて、パフォーマンスの発揮とか、「やり甲斐」みたいなことは満たされていたのかな。

それと、この期間、全国を歩きました。Experience Transporters時代は実家に住んでいたこともあり、家族と出かけることが多かったのですが、ET, Inc.開業と同時に実家を出ると、それまで行ったことがなかった場所に主に一人で足を向けるようになります(旅は本当に自由気ままな時間でした)。必ずしも仕事に直結する出張ではなかったですが、現地とそこで展開される様々な取り組みを見ることができ、知人友人も全国に増え、ET, Inc.として一番投資した部分だったかも知れません。20代の友人が時代の変化もあって、Uターン、Iターンを選んで全国各地に散らばっていた、ということも大きかったように思います。東日本大震災の影響もありました。

2018- 加藤康祐企画設計

2018年3月の体調の悪化を受けて、半年ほどをお休みし、法人を解散する選択をします。それと同時に仕事していくために個人事業主として開業したのが、加藤康祐企画設計です。多くの部分はExperience Transporters、ET, Incの流れを踏襲していますが、この1年、Web、LP、映像、冊子、VI、名刺など、色々な種類の発注をいただき、取引先も10を数えるほどにはなりましたから、まずまずの滑り出しと言えそうです。八王子に拠点を移し、新しくスタート切るにあたって、法人を維持していくのは少し体力不足だったと思いますし、勝手知ったる個人事業主に戻ることのデメリットも当面なさそうで、良い判断だったと思っています。

よくビジネスの世界では「個人の限界」ということが言われます。確かにこれまでも慢性的にリソース不足とは言えて、やろうとした全てを完遂することは到底できず、むしろトライアンドエラーの中で取捨選択を繰り返していったと言えます。一方で、対社会のアプローチ、個人の限界がありつつも、ビジネスやプロジェクトに外部からコミットすることを通じて、クライアントをはじめとした様々な協力者(Partner)の力を借りることで、個人の限界を伸長できることも、体験としてわかって来ました。

フリーランスのダイナミズムは「ミニマムセット」であることに帰結します。最小単位で動いているからこその瞬発力、機動力が発揮し得ます。ただ、それを継続的にしたり、持続可能にするためには、色々工夫が必要です。この15年にはそうした試行錯誤があり、そこで生まれたものは、これからの15年、20年のヒントと言えそうです。

まとめ

15年も続けると思ってもいなかった、Experience Transportersをスタートした2005年に立ち返るとそうでしょう。一方で、フリーランス以外のキャリアを選択し得なかった、と15年経って思うところでもあります。15年の間に独力でやれたことなどほとんどなく、多くはクライアントのビジネスやプロジェクトの「触媒」(Catalyst)として機能することが、僕のクライアント・ビジネスの立ち位置だったろうと思います。様々なビジネスやプロジェクトに関わることができ、個人の専門的な知見や技術を活用することができるこの社会との関係性の持ち方について、僕はとても肯定的でいます。「フリーランスを続けていくこと」自体を目的にしても、面白いこと色々できるんだよな、って思います。

そう言えば、若い頃「後輩に薦められない仕事をしている」という言い方をしていました。僕みたいに体調を崩したことが理由でフリーランスになるケースと、会社を辞めて自由な働き方を選ぶ、みたいな感じでスタートするケースだと、また勝手も違うような、でも根っこは同じような。今は最初からフリーランスで挑戦する若い世代も増えましたし、最早、後輩がフリーランスを選ぶことをああだこうだ言う必要がない気がしていて(働き方を選ぶ世代と随分年離れたというのもありますしね)、僕は20年やったからできること、30年やったからできることってのを模索していけば良いのかなあという気がします。

いずれにしても、直近の1年のことだけでなく、15年という塊で考えて、次のフェイズに進もう、という風なマインドセットになったことは、来年40歳「不惑」を迎えるところでもありますし、都合が良かったように思います。必ずしもずっと右肩上がりの成長を描けなかった反面、積み重ねてきたものは割と大きく育ったなという感じもしており。結果的に積み重ねて来た仕事やそこで生まれた関係性のボリューム、総量が、クライシスにあっての、レジリエンスになり得た、そんな気もしています。別に引退するまでフリーランスで突っ走らなきゃいけないわけでもなし、ともすれば一度キャリア・カウンセラーの人とかとも話してみたいなあなどとも思っているんだけど、「フリーランスであること」というのは気がつけば25歳の時から連綿と連続性の中にあることだなあ、という風に思います。

65歳まで働いたとして、40年間、フリーランスやっていました、ってなったらそれはそれで楽しそうじゃないですか(言葉にすると、先は随分長い気がするが)。

って考えるとまだまだやるべきこと、やり足らないこと、色々あると思うんですよね。なんかだから、少し遠い目をしながら書きました、Freelance Chronicle。

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