2019/6/9

回復の方法論 – 段階的に取り戻すということ – 入院治療の設計

最近の関心事に「回復の方法論」みたいなことがありまして、ストレッサーと距離を置くとか、アンガーマネージメントがとか、体調をコントロールには色々な要素があるのですが、一つ最近大事だなあと感じるのが段階的に取り戻すということで、というか、振り返ってみると、精神医療って少なからずそういう設計になっているんですよね。というのを体験を振り返りながらちょっと整理してみようと思いました。入院っていうと、どういうものを想像するかは人によってマチマチだと思うのですが、僕の場合は3ヶ月の入院で、大体こんな感じでした。

病院生活1ヶ月目

隔離病棟の隔離エリアの隔離室、トイレとベッドだけがある部屋で、腕と腰をベルトで固定された状態がスタートでした。なんもできないですね。鎮静剤を点滴で打ちつつ、ご飯の時だけ腕の拘束を外してもらい上半身を起こして食べて、後は寝たきりみたいな。水の量の摂取制限もありました(薬の効き目に関わるからとかだった気が)。ただ、それもそんな長い期間ではなく、徐々に拘束を外す時間を作ってもらえたり、時間内、部屋に本を3冊まで持ち込んで良いと言われたり、あとお願いして紙とペンをその時間だけ使わせてもらったり、みたいなことができるようになります。シャワーも浴びれます。清潔で窓もある部屋で病院の方は親切で、最初はほんとどうしょうもない感じでしたが、徐々に平静を取り戻していきます。これはまず徹底的に休むしかない状態。落ち着きを取り戻すまではそんな感じでしたでしょうか。

2週間ほど経って拘束が外れ、隔離エリアのトイレが個室になっている部屋に移動しました。窓からは日本庭園が見えて(結構ここからの眺めを気に入っていた)暇な時間は4畳くらいのスペースをひたすらウォーキングしていました。他にすることもないんで。見舞いのたびに新しい雑誌や本を親に用立ててもらって、八王子の情報誌見たり、八王子の歴史調べたり、あとファッション誌や趣味の雑誌眺めたりしていました。最後の方は部屋での食事ではなく、他の患者さんと一緒にオープンスペースでご飯を食べるようになりました。この1ヶ月は、本当に段階的な解放、という感じですね。「拘束」って言葉が独り歩きしがちだけど、この「解放」がとても大事なのだろうと思います。

病院生活2ヶ月目

そのうち隔離エリアから出て、他の患者さんたちと同じエリアの病室に移動します。病室は個室でしたが、共同生活のスペース、という感じでしょうか。ベッドだけでなく、荷物を整理するための棚もあり、空調も完備されていて、部屋だけでなく、オープンスペースに出て、持ち込んだCD聴きながら書き物したりできるようになります。

それくらいから院内散歩も始まって、最初は看護師さんの同伴で、何度か経ってから2時間ほど、敷地内で自由に過ごせるようになり、売店で買い物をしたりできるようになります。スマホも散歩の時間のみ使わせてもらえます。敷地の所定の場所での喫煙もOKとなり(今は病院全面禁煙になっていますが)、楽しみが増えたのを覚えています。他の患者さんとよくだべっていました。これと同じくして、作業療法というのが始まり、自分の選んだアクティビティを履修できるようになります。僕最初バスケットボールやろうとしていたのですが(体育館のある病院だった)、昨年の酷暑で敢えなく中止となり、20分ほど限定された時間でインターネットに繋がったパソコンを使ってSUUMOで物件情報を調べて印刷したり、あとバスケットボールできなかったのでプレステでバスケしたりしていました。他にも音楽聴けたりDVD見れたり、塗り絵とか手芸、編み物、プラモデルみたいなものもあったように思います(やらなかったけど)。後はヨガとかストレッチみたいなことをした日もあったかな。

病院生活3ヶ月目

3ヶ月目になると、2つプログラムが始まりました。1つは病気のことをよく知るための講義形式の時間。もう1つは自分の経験を看護師やソーシャルワーカー、他の患者さんとシェアして語らうワークショップ形式の時間。今風に言うとオープンダイアローグ、とかになるんだろうか。両方とも任意だったのですが、受けることにしまして、そんなに難解なことをやるわけではないのですが、知らなかったことも多く、ああそういうことだったのか、みたいな学びもありました。

これに並行して、外出・外泊ができるようになります。外出には外出可能なエリアが決まっていて、僕は一人の時はラーメン食べたり、散歩したり、スーパー銭湯行ったり、コーヒー飲んだりしていました。あとインターネットカフェで、ひたすらSUUMO見ていました。この時、もうホント、やることと言ったらSUUMOで物件情報検索で、予算とにらめっこしながら、一番良い物件探しだすのに必死だったの覚えています。外泊は実家に帰っていて、何度か家族で実家で過ごしました。そんなこんなであれよあれよと3ヶ月。

退院後

それから八王子で一人暮らし始めて、ETの解散や加藤康祐企画設計の開業があって、ジム通いだしラグビーやって、何となく仕事をしつつ生活を回しながら今があるわけなんだけれども、なんかこの先に挙げた3ヶ月の「段階的な解放」って言うのが、休養をしながら社会生活に戻るための段階的な設計になっているんだなあと改めて振り返ると気付かされます。冷静に振り返るとすごいよなあと思う。

今も僕自身、仕事のペースとかやることとかも、この「段階的に取り戻す」ことを重視していて、四半期ごとに目標値を設定して仕事をしてみたり、日々のやることや、人に会うこと、顔を出すコミュニティを増やすこと、みたいなのを徐々にやって来ました。医療は退院するまでの設計はしてくれますが、退院してからは自分で設計せねばなので、月1の医師との面談を相談相手としつつ、「段階的に取り戻して来た」、そんな感じの1年です。

まとめ

入院したのはほぼ1年前のことだけど、改めて振り返ると、ほんとちゃんと設計があるんですよね。お医者さん側からすると、療養計画、とかになるのだろうが。経験には個人差もあるんだろうけれど、ここに書けたことも決して網羅的ではないし、色々なことがあったよなあと思います。ただ、短い期間でかなり良い状態で出て来れたのは、こういう段階的な設計が医療にきちんとあったから、なのではないのかなあと。設計する仕事をしている人間としては興味深くもあります。

よくできてるなあと思うし、それを機能させてるのすごいなと思うし、そこで働く人たちはやはりすごいなあと思いますね。そんな話でした。

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