2019/3/17

統合失調症の論理的克服と情緒的克服

時間が経って整理されて来ると、統合失調症からの回復というのはやはり特殊だと思います。なんか治ったような治っていないようなふわふわしている状態が長く続くからかも知れないけれど、なかなか回復前・後と切り分けられない、そんな病気であるようにも思います。

例えば、盗撮・盗聴されている、という感覚があったとします。僕も急性期の最後の方でこれに苛まれたのだけれども、これに対処するには大きく2通りの方法がある気がします。

一つは論理的克服。つまり盗撮・盗聴などされているわけがない、と考えることです。対処としてこれで良いようにも思えるけれど、実際は症状として、人に自分の思考が知られている感覚だったり、テレビやラジオで自分が噂されている感覚だったりがあると、「されているわけではない」という論理的な理解だけでは整理しきれない阻害要因が生活空間の中にあるわけです。

なのでもう一つあるのが情緒的克服。つまり盗撮・盗聴などされていようが構わない、と考えることです。まあ盗撮・盗聴って極端なんだけれど、もうちょっとありそうなケースで言うと、周囲に噂されている感じとか、人に揶揄されている感じとか、そういうものがあっても、関係ないと処理すること、これは前段の「そんなことはあり得ない」という解釈の方法に比べると、「そんなことは関係ない」という解釈、と言えるのではないかなあと思います。

これおそらく回復の過程で両方必要なんですよね。そもそもそういう覗かれている監視されているような疑念を持つのが、人が自分の噂をしているとか、人が知らないはずのことが漏れているとか、そういう感覚が空耳や幻聴のようなものとしてあるからで、平穏無事に、そういうことに振り回されずに生活するには、先に挙げた、論理的克服と情緒的克服の両方が必要で、論理的克服で足らない部分を情緒的に克服して、情緒的克服で不安な部分を論理的克服でカバーして、みたいな関係性が必要な気がしました。空耳や幻聴は時間や静養や投薬で緩和されていくので、徐々に状況に慣れて、普通の状態を取り戻していく、という感じでしょうか。

克服と書いたけれども、克服って実際はなかなか難しくて、なんか僕も小学校やら高校生やら大学生やら、もう名前も忘れていたような人のことも、体調を崩して思考が混濁していた時には騒動の登場人物として頭の中に出現していて、記憶とか経験として自分に蓄積されているものって、なかなか克服し得ないことも多いんだなって今回感じました(嫌な思いとか、辛い記憶というのは、遠くに忘れていたり、おさまっていたりするだけのものなのかも知れない)。

一方で、症状への対処というのは克服のしようがあって、これは論理的に整理することと、情緒的に乗り越えることと、両方必要だなあって感じました。そうすることで、「現実離れした症状」に対処することができるのかなと。

なかなか言語化しづらいことが多いけれど、気付いたことは少しずつわかりやすい形に咀嚼しておこう、とも思うのでした。これも一つの整理。

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