2019/3/12

震災以降

震災以降の僕の葛藤というのは、有名にはなりたいとは思わない、ただ、社会的な影響力は発揮したい、そんな感じだったんじゃないかなあと思います。2011年3月11日、東日本大震災の時に痛感したのは自分の声の小ささでした。混沌とした中にあって、ああこれどうにもできないなという無力感と、何かしなければいけないという焦燥感と、あったかな。この8年の間に大分色々なことをやって、かなりチャレンジもあったし、いくつか手応えを感じることもあり、仕事とか、ビジネスとかの枠組みを超えて、ETというスキームの中で、それまでにはできないことができた、そんな風には思います。

震災以前の僕はどうだったか、というと、実は当時の目標は「社会復帰」にありました(今と同じだ)。言わば、僕にとっては第一次社会復帰で、22歳で体調を崩して、25歳でExperience Transportersを開業して、2011年に至る6年間は、個人事業主として、フリーランスとして、どうやって生きていくかということがメインテーマでした。これはこれで結構チャレンジングだったんだけど、割と僕の仕事は「個」の世界で、あまり「公」の世界では仕事してなかった感じがします。主にクライアントワークをたくさんやっていて、ただ、ET Luv.Lab.というインタビューサイトを始めたり、ET withwithという業務管理アプリを作ったり、少しずつクライアントワーク以外のことも始めてはいました。

多分、対社会投資、みたいなことじゃないかなあと思うんだけど、ボランティアということとも少し違って、2011年以降、社会が抱えていた問題に対して、ユレッジだったり、カナエールだったり、いくつかのプロジェクトで自分のリソースを公の領域に投下することをして来て、回収見込み、はよくわからないのだけれど、こういう自分の能力の活かし方もあるんだな、というのは経験できた気がします。それまでに仕事でビジネスで培って来たことを、「公」のために活用する、ということは仕事を走らせながらでも、あるいは仕事の枠組みの中ででもできる話で、これはこの8年間の収穫だったなあという気がします。

声の大きさについてだけれども。体調を崩して以降、Twitterは一旦閉鎖してアカウントを作り直したので、1200人くらいいたフォロワーは30人くらいになって、Facebookのアカウントもクローズドにしたので、声を小さくする方向に向かいました。これはもう、僕の疾病がプライバシーを覗かれるみたいなことや、人に噂されている感覚みたいなことと、と隣り合わせにあって、療養のために必要なことだったと思うのだけれども、なんか今はSNSとの距離感もちょうど良い感じになっている気がしており、社会的影響力の発揮、ということについても、そういう声の大きさじゃないやり方があるのではないかなあという気がしています。

防災のことだったり、社会的養護のことだったり、漠としてある社会不安と対峙することは、震災以降の僕の一つのテーマだったろうと思います。「公」つまりパブリックとの付き合い方ってのは、「個」つまりプライベートでの充実があってこそ、決まってくるものだろうという気がしていて、今は一旦売り切れてしまった余裕と余白をもう一度作っていかないとな、と思っています。

兎にも角にも、振り返って思うのは「震災以降の充実」というのがあって、多くの人が犠牲になり甚大な被害をもたらした災害ではあったのだけれども、それで自分の生き方や働き方が変わったのもまた事実で、貴重な8年間だった、という気がしています。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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(2012-10-5)
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