2019/3/11

執着の薄さと所在のなさと

やりたいことを仕事にするとか、これが自分のやらなければいけない仕事だとかあるのだけど、昨晩のモツ煮込みにカレー入れてみよっかな、という感覚が、最近すごい大事な気がしています(なんか急にトーンダウンしたけれども)。1年くらい、ああでもないこうでもない、となってみて、最近少し感じるのは、色々なものへの執着が薄くなって来たなあということです。

わかりやすく言うと、物欲だったり、食欲だったり、あと酒飲みたいとか、旅行行きたいとか、色々ある「〜したい」ってのが割と希薄になっていて、逆に社会的養護の子どもたちをとか、ラグビーの大会の運営を、みたいな使命感みたいなものも肩の荷が下りて、なんかつい最近まで好奇心の塊だった人間が、急に無気力になった感じがして、不思議な感じもあります。実際は仕事はするし、生活もするし、やる気ないわけでもないのだが、色々な欲求とか衝動がすべからく薄くなった感じがしていて、ああ、年を取るってこういうことか、と思っているところ。

ただ、その代り、前よりその薄くなった欲求とか衝動の機微に敏感になった気がしていて、これやりたいとか、これやらなければいけないの代わりに、ちょっと〇〇してみよっかな、みたいな感じで軽く始めてうまくいくことが増えた気がします。ちょっと筋トレしてみるかなとか、ちょっと福祉の勉強してみるかなとか、ちょっとちょっと、という。

すごい強い気持ちがない代わりに、新しく始めたいことに対してとか、興味を持っていることに対して、淡い期待みたいなのがあって、陶芸とかなーとか、古民家改修とかなーとか、DIYとかなーとか、今、割と自由が効くこともあって、その日その日、あれーどうかなー、みたいに思う時間が増えています。興味あるなーと思うと本屋で立ち読みしたり、Amazonで本物色したり、ネットで調べ物したりしている。

なんかわかったことは、いくつかのことに強い執着や使命感を持って仕事したり生活したりしていると、なんか自分の興味の自由度とか行動半径が狭まる感じがしていて、まあ余裕がなくなるということなのだけれども、ああ余裕があるってこういうことかというのが最近の実感で、つまりPrototypingのトライアンドエラーの幅を取れるということなのだろうと思います。今、自分がすごい所在ない感じだなあと思うのだけど、そういうの割と心地よい。執着が薄い状態。

一方で、やり甲斐みたいなものも薄くなった代わりに、仕事の手応えが確かになって来てる感じがします。是が非でもこれをやり通さなければいけない、みたいな公共の使命感に駆られてないのだが、ちゃんと仕事するとちゃんとやれたなって手応えがあって、この仕事の手応えが割と今は愛おしい。生活しててもそんな感じかも知れない。執着薄いんだけど、感覚は冴えているので、1つ1つのことがヴィヴィッドになっている感じというか。

今年の目標は一言で言ってしまえば「仕事」なのだが、なんでも仕事にできる職業ではあるし(デザインの仕事って結局色々なことに興味持てるかが勝負だと思うので)、なんかカジュアルなこととか、インフォーマルなこととか、大事にしていきたい感じではあります。なんかそんなんが時間を使った種蒔きなのかなあと。

なんかやりたいこととか特にないが、何にでもそれなりにやる気を発揮できるような、割とリラックスした状態というのだろうか。

しばらくそんな感じが良い気がする。

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