2018/3/20

美しい国 Reprise

随分昔、2006年に『美しい国』という安倍総理の本を読んで「美しい国」という記事を書きました。

おぼろげな言葉としてメディアでは捉えられていますが、そもそも「美しい国」ということの実態を想起できないというのはメディアの発想力の乏しさで、むしろ「美しい国」という言葉で自国のアイデンティティを語り得ない今の日本人が甚だ思慮に欠けているということかも知れません。僕は「美しい国」という言葉はとても「美しい日本語」だと思っています。

安倍さんには賛否両論あるんじゃないかなあと思うのですが、一方で、今この世の中が抱えている社会的病理、みたいなものを解決するためのスローガンとして何を持ってくれば良いかと思うと、なんか「美しい国」なんじゃないかなあと思ったんですよね。

妬み、憂い、陰口、流言飛語、罵り合い、みたいなものが渦を巻く世の中にあって「美しさ」なのかなあと思うのですよね。その時、こういう問いかけをしている。

安倍氏の描く「美しい国」像より、僕は隣の貴方の「美しい国」像に興味があるのです。

12年前の自分から鑑みると、隣の貴方ってのは、「今の自分」みたいにも言えるかも。Here Nowにある美しさ、というか。なんじゃろなと。

なんか、もののけ姫かなと(唐突)。コピーライターとして一番好きなのは糸井重里さんで、一番好きなコピーは「美味しい生活」と言い張っているのですが、今、なんか持って来たいコピーはこれじゃないなと。

生きろ。

ではないかと。また、アシタカの名台詞には:

「生きろ、そなたは美しい」

ってのがあるのかなあと。様々な社会問題が取り沙汰され、一方、経済の緩やかな衰退も展望されることを考えた時に、それでも勇気を出せる言葉。

「生きろ、そなたは美しい」

これじゃないかなあと。ここで、美しい国、ということに接続される。つまり、2018年における僕の「美しい国」の定義は「生きろ。」というメッセージに凝縮できるのかも知れないな、って気がしました。

なんか今すごくこのスーパーTalk Straightなメッセージが、何だかフィットする気がするんですよね。

「生きろ、そなたは美しい」

そう誰かに言ってあげられるようなことが、今この国が美しく在るためには必要なのかなと。

なんかそんなことを思いました。

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