2018/2/1

芯を通す – 糸井重里さんの談話がちょっと気になった話

なんか最近慌ただしいんですが、ちょっと大事な感覚だなあと思ったので、書いておこうと思いまして。芯を通す。いやまあ、芯が通ってた方が良いに決まってるんだけど。なんか、そういう芯棒みたいなのを最近意識するんですよね。

思ってもないようなことを書くと芯ってやっぱり通らない感じがして。あと予め決まったセリフを言うとかね。

ああでもそう言えば、こないだ『黒蜥蜴』という舞台を見ていたのですけど、あれはだから芯が通っている感じがして、どういうことかと考えた時に、練習をして、練習をして、自分の言葉にして、あたかも自分が思っていることのようにセリフを発するみたいなことになるのかも知れないですね。

カナエールでは子どもたちは原稿を作っていて、これは自分が思ったことを書いているわけで、ただそれが必ずしもストレートに言葉に落ちなかったりして、だから練習をして、練習をして、言葉を工夫して、結果、自分が思っているだろうことが、本当に自分が思っていることになって、芯が通るのかなあとか。

そう考えると、思ったことを直情的に言えば、芯が通るってことじゃない気がしますね。なんか練磨する、みたいなことが必要な気がする。

よくコピーライティングの訓練で100本ノックみたいなのありますよね。さて、100本出せば良いコピー生まれるのかというと。もしかすると上滑りの100連発になる可能性もある。そこから1つを選んでも、芯が通ってないってことはあるかも知れない。

なんでこんなことを書き始めたのかというと、今日、Twitterで流れて来た、糸井重里さんの談話というのが気になったからでした。

正直に伝える、ということなのだけど、これなあ、って言う。言葉から離れると、デザインとかも段々そうなって来ている気がしますよね。正直に伝える。特にサービスとかを考えているとそうか。なんか企画書とかも「これすごいっしょ」より「これはこういうことなのです」的な、なんというか告白に近いようなものの方が、なんか伝わって、人が動くものになるのかな、って気がしますね。

芯を通す、なんか人に動いてもらおうと伝えるためには大事そう。先の100本ノックが拡散だったら収束なのかな。まあただ、着地点を一点に絞ると、あわや大事故ってことも起こりそう。なかなか難しそう。なんだろう、練磨する、みたいなことを、今まで生きて来た経験値、みたいなことで吸収するのかな。なんかそんな感じもしますね。

そうですね、なんか正直に伝えるってことだろうな。最近、煩わしいなと思うのが、駆け引き、みたいなことで、翻って、正直に伝えるということが心地よい。一昔前だと暑苦しいとか、うざったいとか、逆に気恥ずかしいとか、感じていたかもしれないけど、最近はなんかそういうレトリックに頼らないことが何だか良いなって思います。

『黒蜥蜴』の三島由紀夫の脚本なんて、レトリックの応酬と言うか礫なんですけどね。なんか芯が通ってる感じがしました、中谷美紀が凄かったのか(ファンなだけ)。あ、昨日のスチャダラとかもそうか(BOSEインフルでいなかったけども)。

なんか実は僕が歳を取っただけって感じもするんですけどね。なんかそういうのが大事な気がします。

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