2018/1/3

コーヒーと料理とUnlearn – いつも違う味で良い

昨年、ET 5周年と書きましたが、実は僕が実家出たのも5年前でして。それまでは実家の自室で日がな仕事させてもらう生活を7年ほどしていたのですが、今の場所に引っ越して来てから、ようやくちゃんと生活を自分で回そうとするようになりました。なので、コーヒーと料理、すごい好きそうにしていますが、覚えたのは実はこの5年ほどだったりします。

今日はその辺の話を。

コーヒーも料理もアドバイスをくれる人はいるけれど、特段誰かに教わったわけではなく、まあ僕ができること、例えば、写真とか、文章を書くとかについても同じことが言えるのだけれど、我流です。我流で大事なのは見取り稽古で、良いものは何で良いのだろう、と想像力を働かせること。そう言えば、以前、こんな靴職人さんの記事を読みました。

手間暇を惜しみなく注いで実現した、美しい里山での靴作り。[IKEMA/山口県山口市]

この人は実際に靴解体しちゃうんだそうですが、飲みものとか食べものはそういう意味じゃ実際に味わって食感を確かめて火の通り具合や温度や質感を確かめられるから、解体DIYとしては序の口なのかも知れませんね。それで解明できないことも多いけど。

さて。

プロの仕事というのがありまして。プロの仕事というのは最適解の精度の高い再現性、ということを求められます。いつものこの味、同じ味、これが最高、みたいな。対して、アマチュアの僕としてはどう思うかというと。いつも違う味で良い、って言うのが許されるのが、アマチュアの自由じゃないかと思うわけです。最適解の精度の高い再現性を求めなくて良い。

コーヒーなら、今日はこの豆、お湯の温度はこのくらい、蒸らし時間はこのくらい、濃さはこれくらい、ということでえらくできあがるものは変わって来ますし、料理だって、今日の豆腐はどうしよう、焼くか、煮るか、揚げるか、味付けどうするか、何添えるか、何と一緒に食べるか、妄想は膨らみます。いつも揚げ出し豆腐 600円を自分のために用意しなくて良い。むしろ、いつも違う味で良い、それが自由、みたいに思えることが良いのかなあと。この豆が自分の好みの豆でこの淹れ方でとか、このレシピが得意料理でレシピ通りにとか、あんまり楽しくないよなー、という。むしろ、自分の体調や気分や、来客の年齢層や好き嫌いで自由に調整できる方が楽しい。

はて。

なんでこんな話をしているかというと、最近改めて話題のUnlearn、本質ってここにあるんじゃないかなあと思うんですよね。経験を溜め込むと、最適解の精度の高い再現性を求めてしまう。プロのドリップを、プロの料理をしようとしてしまう。毎日同じ味を、毎回同じ味を、という。ただ、アマチュアリズムに則ると、先に挙げたような材料や手法や体調や気分でやれることは無限大だと気付くという。だから、端的に言うと、卵買って来たら、同じオムレツしか作りません、みたいなことが経営とか組織とか人材育成とか色々な現場にある、ということかなあと思うのですよね。さっぱり食べたいのにチーズ入れなくて良い、という。

より多くの変数を面倒みようとすることと、アウトプットに対して自由になること。そういうことができないとUnlearnってなかなかスローガンを離れて実践の域に達しない。だから自分が経験で作った正攻法をあっさり捨てても、それなりに仕上げられるか、みたいな力が必要になってくるんじゃないかなあと思うんですよね。「なんくるないさー」力というか。

まあでもそういうの大事ですよね。失敗を恐れず、失敗を織り込んでおいて、ただできる限り結果は出そうとするというような。実はUnlearnについては以前簡単な記事を書いていて。

受託仕事とUNLEARN : Life is Prototyping

2年経って思うのは、学ぶことを絞るとかそういうことじゃなくて、このブログの新しいタイトルにもなっているけど、「Prototypingの姿勢」じゃないかなあと思うんですよね。

まあ、たまに失敗したなーと思う時もありますけどね(コーヒーとか、料理とかの話です)。

なんかそんなことを思いました。コーヒーすすりつつ。

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