
達の話
そう言えば、ふと思い出したのだけど、昨晩、「達人」ということを考えていて、Facebookで見かけた動画で「好きなことを仕事にする」ということを「その道の達人になる」みたいに言ってたのだけれども。確かに、好きなことを仕事にするって、そんな難しいことじゃない気もしていて、でもそれできないから困るんであって、じゃあその解決策というと「その道の達人になる」。これくらい覚悟を要求して「好きなことを仕事にする」ということを論ずるのは、なんか誠意ある感じがしたんですよね。
そう言えば。今日こんな記事を読みました。
自分のキャリアの作り方。何歳までに何をやるべきか。 | Books&Apps
これすごい良い記事だなあと思って、詳しくは読んでいただきたいのですが、40歳から50歳までの10年間はこんな感じだそう。
「40歳までに、自分の活躍できる分野を見極めなさい。それができなければ、人生の後半を無駄に過ごすことになる。得意で、楽に成果が出せることに注力するんだ。そして、その分野で第一人者を目指す。」
ああ、これ達人目指せってことだなあ、と思ったんですよね。
そう言えば。中学時代に国語の授業で、「達意の文」という言葉を教わりました。
自分の考えが十分に相手に理解されるように表現すること。
当時こういう定義で教わったかどうかは怪しいところだけれども、確かに文章書くのに大事だなと今も思うのってこれですね。記事書くのもそうだし、ビジネスレターもそうだし、もっとプライベートなものもそうだろうと思うのですけど「相手にとってのわかりやすさ」みたいなこと。
つまり文章を書くということは、相手に理解されるように努力することに等しい。
さっき、たまたま見かけて良い文章だなあと思ったものがありました。
アトリエビル「HUNCH」、OPENING RECEPTIONのお知らせ | HUNCH(ハンチ)公式ウェブサイト
「もの」「こと」を収穫し、消費することばかりが先立ち、種を植えて丁寧に育む機能が都市から失われつつあること、ゼロからものごとをつくりだそうとする力が弱まっていることに対する、私たちなりの問題提起であり、模索であり、探求です。
これとかすごい、読む人に理解されるようとするためのレトリックが使われてる感じがしました。「もの」「こと」が「ものごと」に昇華される感じとか。
あ、なんかすごい達人から話離れて来ていますね。
ただ、「達」って広義のコミュニケーションにまつわる言葉じゃないかと思うんですよね。到達するという。何か目的を目指し、そこに至る道筋が、目標に達する、ってのはコミュニケーションの目指すことで、理想とコミュニケーションできた人が達するのだろうし、理解とコミュニケーションできた文が達するのだろうし、という。
達することは目指した方が良いんだな。理想とか理解とかは達することで初めて形になるのだろう、なんかそんなこと思いました。

加藤 康祐 / 企画・設計
プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。
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フリーランスとして働き始めるってどういうことだったのか?フリーランスとして働くってどういうことなのか?フリーランスが目指すことってなんなのか?5年間の自分の経験から書きました。(2010年執筆)