2015/10/19

あざとさの調整

最近、課題感のあることに「あざとさの調整」ということがあります。これがなかなか難しい。按配の問題だから。

昔より広告的なことが必ずしもキャッチコピーが踊る広告の形を取らなくなったというか、広告然としなくて良くなったというか、それはしばしば紹介的な形を取ったり、推薦的な形を取るのだと思うのだけど、バナーの時もあるし、記事の時もあるし、そもそも広告じゃないって時もあるし、まあでもただのメッセージにすらあざとさはある、ないし、残る。

ストンと落ちるメッセージって、なかなか難しいですよね、実は。世の中そんな単純に説明できることだけじゃないし、かと言って魅力を発しないものに人は寄らないし。

例えばソーシャルメディアを考えた時に、いいね、はつくがコンバージョンに結びつかない、みたいなものがあります。FacebookやTwitterの広告がセールスに繋がるかどうかというのは、やりようなのではないかなあと思っていて、その多くが質的なものに担保されるのではないかなあと思います。

コンテキストと言っても良い。

この記事、タイトルを「あざとさの排除」って最初したのだけれど、排除じゃないんだろうと思いますよね。筆を持った瞬間に(キーボードを叩き始めた瞬間に)、何らかのあざとさは発生する。

その上でどこに落とし所を置くのかな、ということかなあと思います。

今、割と刺激の強いものが話題に上がる流れがネット然りずっと続いていて、すごいあざといものがでもハマったりするのもありつつも、あんまりそういうことやりたいわけでもないしなあと。

という時に。

例えば知り合いに知り合いどう紹介するかなあ、とかわかりやすいのかも知れないなあと思いました。メタファーとして。「引き合わせる」という行為における「あざとさ」みたいなものの調整。そうするとペルソナではないのだけど、擬人化して考えていくと良いのか、などとも思ったりして。そういや、MIXIに昔、友人の紹介書く欄とかあったような(うろ覚え)。

この文章のあざとさはどこにあるんだろう、とか最後に書いてるのが、あざとさではないか、とか。

その辺にブレができるだけないようになると、もっとメッセージングの精度とかも上がるのかと思いつつも、たまに外れ値もないとつまんないしなとも思いますね。

あざとさ、難しい。

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