2015/8/22

非日常性への回路 Reprise

最近、巷で話題のマインドフルネスですが、こないだも少し酒飲みながらそんな話になりまして、瞑想してる時どんな感じですか?と聞かれて、「うーん、ラグビーしてる時みたいに余計なこと頭になんもない感じですかね」みたいなおよそ悟りを開いてなさそうな答えをしたのだけれど、質問くださった方は「未来」でも「過去」でもなく「今」と向き合うこと、みたいに教えてくださいました。

なるほどなあと思うのだけど、これ案外、こういう時間ってラグビーでもたまにあるなあと思うのだけど、ボール持って突っ込んで掴まるじゃないですか。実はそこからが大事で、止まらず足をかき続けるのだけど、体ってこの時、体が覚えてることしてるんですよね、で、頭は「今、俺が足を止めると倒れる」ということだけを考えている(ということも考えてないかも知れない)。これって、多分、2秒とか3秒とか、まあたまに奇声を上げて気合で頑張ったとしても5秒とか、そんな感じだと思います。

という時に、この2秒とか3秒とかの体験を、10分とか30分とか1時間に拡張する術があるとすると、それ瞑想ってことになるのかなあと思いました。あんまりこういう話、高尚なところから入るの好きではなく、身近な体験から入ってみたのだが、どうだろうか。例えば、他にも会場でスピーカーの顔に向かってシャッターを切る時の集中力とか、鍋のお湯を沸騰したといつ見切るかとにらめっこしてる時とか、今と向き合ってる時間というのは、一瞬とか刹那よりは、もう少し長い時間なのだけれど、まあでも長くは持たないわけで、そういうのを連続性の世界に持って来るのが瞑想なんじゃないかなあとか体験的には思っています。

ちなみに僕、たまに瞑想しますと言ってもデタラメで、ここにあるHead Spaceってアプリでしばらくやってて、最近はブライアン・イーノのMusic for Airports流してやってます、ET Luv.Lab.で井口琢磨君の取材で教えてもらったのだけど、気に入ってる。

さて、ここで、少し同じくET Luv.Lab.の昔のトピックを穿り出したいのだけど、「非日常性への回路」ということについて。松下弓月さんへの取材です。弓月さん僧侶だけど、今は臨床心理学の研究を大学でされてもいる。僕がこの分野で一番教えを受けてる人です(酒飲んでるだけだけど)。

松下 弓月 – 「非日常性への回路」 – ET Luv.Lab.

今日も祖父の四十九日だったのだけど、改めてお経を聞いたり、仏壇の説明を受けたり、みたいなのはこの年齢になると逆に知らないことの多さに気付かされ新鮮なものだと思いました。いわゆる宗教的な行為というやつ。

【松下】元々日本の宗教とか信仰のあり方というのは、組織宗教化されたものではなくて、ものすごく曖昧なものだったんです。西行法師が伊勢神宮に行った時に詠んだ歌で、日本人の宗教性を表す有名な歌があるんです。伊勢神宮で詠んでるから西行法師がそこに何が祀られているか百も承知らしいんですが、「なにものの おわしますかは しらねども ありがたさに 涙こぼるる」と。何がそこにいるかはわからないんですけど、とにかくありがたい、というのが日本人の宗教性だと昔から言われていて、どうもこれは神道というのが、元々自然宗教で、組織化されたものではないし、特定の明確な教義があったわけでもない宗教なんですよね。人と人の結びつきを作るというのが神道というものの元々の機能なんだと。地縁、血縁みたいなものを作るためのもので、特定の神様を信仰するというのはそれほど強くなかったらしいんです。日本人の元々の宗教性がずっと続いてきている中に、キリスト教的なものさしで宗教を捉えるということがインストールされてしまったので、そのものさしで測ろうとすると、自分達が元々持っていた宗教性というのはそのものさしの外側に出てしまうと。抜け落ちてしまう。捉えきれない状況になってしまうということじゃないかなと思います。

昔、弓月さんにぼんやりと、信仰ではなく、信心を深めたい、みたいな話をしたことがあるのだけど、今日、浄土真宗の話聞いていて、仏壇に遺影はあまり飾らず、阿弥陀如来のもとに成仏した仏様は集っていて、それを拝むみたいな話だったのだけど(まあ、ざっくりとした理解です)、ようはそれは「気持ちの束ね方」みたいな問題なのではないかと思うのですよね。手元には割と生々しい気持ちとか思いとか願い、みたいなのがあるのだけど、その向き先がどこまで抽象化されるかという問題で、しかし、何かそういう生々しいものというのは、対象が抽象化されることによって、その人の意思とか、使命とか、筋道とか、受け側からすれば、それは教義を授かるみたいなことになるのやも知れないけど、なんかそういう構造体として機能するということなのではないかなあと感じました。まあだから、すごく手元にある気持ちと、すごく遠くに向けた思いみたいなのって、実はそこに伸長があって、瞑想のことをかえりみると、この引き伸ばす機能って、ここでは時間軸のことではないけれども、結構大事な感覚ですよね。

【松下】日常性から逸脱するような回路というものを、どれだけ持ってられるかだと思うんですよ。キリスト教圏であれば神という絶対的な存在があって、そこに繋がるという回路があるんだろうと思います。日本人の場合は「ハレ」と「ケ」と「ケガレ」という日本人の宗教性の生活形態を3つに分類するような言葉があります。ハレはお祭りの時ですよね。ケは日常で。ケガレというのはなにかその負の非日常性ですね。死に関するものとか血液に関するもの。日本人はこの3つの間を行ったり来たりして生きていた。普通の日常生活の中でたまにお祭りみたいな時があって、その時だけ触祭的な空間なり聖性に触れるんだけど、また日常に戻ってきて。たまには人がなくなったりしてケガレになったりするんだけれども、身を清めて元の日常に戻る。こういう往還運動があったから、日常性の中でがんじがらめになるということがなかったわけですよね。それが今は宗教性というものが、危険なモノ的な捉えられ方しかなくなってしまっているので、日常の囲いの中から外に出られなくなってしまっている状態だと思うんですよね。

【松下】それって非常につらいことだと思うんです。生きていくのは楽なことばかりじゃないですから、大変なことが沢山ある中で、日常性から抜けられない。そこから逸脱して開放感を得たりというようなこともできない状態にある。それを何かもう一度取り戻すような回路というのはあった方がいいんじゃないかと思います。

【加藤】 そういう日常性という意味では、実は日本人の多くは「ヒキコモリ」状態にあって、日常性から逸脱できないというのは精神的に鬱屈してしまう環境に身を置いてしまっているのかも知れないですね。

【松下】法律というのは世界のごく一部分を記述しているのに過ぎないですよね。それが世界の全体であるかのように捉えてしまうことによって、その外側に出た時の喜びもそうだし、色々な嫌なことも起こるんですけれども、そのこと自体をオミットしてしまう。それを両方ともなくすかわりに、確実性の高いような、予測可能な人生だけを送っているところはあるんじゃないかと。

【松下】なんでもかんでも人間がコントロール可能な状態に置こうとしているようなところがあると思うんですよ。法律とか、個人の上位の概念によって、全てモゴモゴしたものが回収されて行く。回収されないものに関してはどうしょうもない、というような状況なってしまっているような気がするんですよね。

【松下】もともと法律もそうだし国もそうだし人間がコントロールできることというのはごくごく一部でしかなかったはずなので、そもそもコントロールできないんだという前提で生きた方が、とんでもない不幸が起きた時にも対処はしやすいんじゃないかなあ。

この話、かなり本質的な話をしていただいたなあと思っていて、当時汲めてないところとかも多かったなあと思うのだけれど、例えば、今、企業のエグゼクティブクラスが役員室入って最初に10分でも30分でも瞑想する時間を持つ、みたいな行為って、実はこの辺のロジックで理解できるんじゃないかと思うんです(弓月さん、ここですごい論理的な説明をしている)。最初の説明と照らし合わせるなら、「日常性」つまり、「過去」と「未来」、時間の流れに常に流されてる状態の中で、今と向き合う、それは現実を直視するとか、問題と向き合うということではなくて、「日常」を止めて、「今」を取り戻すための回路、それが「非日常性への回路」、ということなのではないかと思います。そういうことがないと、色々なことをオミットして、世界を矮小化してしまう、ということは論理として「わかる」感じがする。

僕らは日がな個人の上位概念をガヤガヤ言って、場合によってはガード下に屯するのをはけ口にしたいのかも知れないけど、そうじゃなくて、モゴモゴしたものをもう少し丁寧にゴモゴモしていく、感性の曲線に沿うように、論理にきちんと柔軟性を持たせていく、そういうのが必要なんじゃないかなあと思います。

ガチャガチャ仕事していた三十路前後に、並行してこういう時間を持てていたこと、というのは今の僕にとってもとてもありがたいことだなあと改めて読み返していて思いました。あ、あと弓月さんの研究成果を色々うかがうのも今からとても楽しみです。などなど。

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加藤 康祐 / 企画・設計

1980年1月12日生まれ。フリーランス歴15年。プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。学生時代にデザイン会社でWebデザインを経験。2005年よりフリーランスとしてキャリアスタート。これまでに個人から上場企業まで、100以上のクライアントとのプロジェクトを経験。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの編集・運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート等。趣味はラグビーと料理。Keep the head up, Bind tight & Stay low.

加藤康祐企画設計

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