丁寧な暮らしが丁寧過ぎる、という話題2015/4/4

こないだ打ち合わせの席で、ちょうど出かけに松浦弥太郎さんのクックパッド入社の一報をTwitterで見かけて、BRUTUS買って行ったところなので、雑談の話題に出したところ、松浦弥太郎さんの話を少ししていたら、「丁寧な暮らしが丁寧過ぎる」という友人の一言があって、「ああ、そうそう、そうなんだよね」と思いました。言い得て妙。

BRUTUS(ブルータス) 2015年 4/15 号 [雑誌]
マガジンハウス (2015-04-01)

ほんとはだから、「無理のない暮らし」くらいが言葉的にはちょうど良いのだろうけど(言葉の問題でしかないけど)、「丁寧な暮らし」は一言で言うと「大分無理あるよね」ってことなのだろうなと思います。当たり前か。

まあこの辺はライフスタイルとか、ワークスタイルとかに密接に絡んでくるところだとも思うのだけど、家で仕事している僕でさえ、そんなことやってられないよ、ということが山ほど様々なところで提言されていて、丁寧ってやたら疲れそうなイメージもある。ソーシャルメディアにシーンだけ切り出すと、ちょっと良い感じに見えたり、「なんか魯山人みたいですよねえ」、ってこないだ言われたけど、現実は生活のほんの一部がそうなだけなわけで。Capsule聞きながら、ヘッドフォンして、水道水がぶ飲みしながら、カップラーメンで飢えをしのいで、締め切りと格闘する夜もある、大いにある。

そう言えば、こないだ地方で暮らす友人が「田舎暮らしが暇だって誰が言った」って冗談めかして書いてたけど、まあそういうことですよね。前に先輩の家にお邪魔した時も、「いいですねえ」とかほのぼのしてたけど、「おまえねえ、寝ててムカデに噛まれるんだよ、田舎は」とおっしゃっておりました(その後、ムカデの焼酎漬けが大変よく効く、などという話をうかがった)。便、不便とかの議論の前段で、そういうこともありますよね。

ただ、コンテンツへの興味の、ある意味「嗜好性」みたいなものがそっちの方向に振れるのは僕自身は悪いことじゃないんじゃないかなあと思うんですよね。外で高い金出さずに家で美味いもの食べるとかは良いと思うし、古いものの価値見なおすのとか良いと思うし、手間かかることとか今日時間に余裕あるなとか思えたりもするので、悪いことじゃない。DIYみたいなこと面白がれるのは健全だと思う。

あとなんかやっぱり社会に対する柔軟性みたいなのは大事で、昔ITとビジネスの本ばかり読んでたけど、小説ばかり読みふけってた時代もあったし、気づけば最近は民俗学の本とか面白いとか思うわけで、あとたまに漫画も読むし、価値観がしなやかになる、みたいなことには最近の風潮は繋がるのかなあと思いますね。

ただ、まあどうなんだろう、最初に戻るけど「丁寧な暮らしが丁寧過ぎる」というのは全てを物語ってる気がしていて、なんかこの言葉には妙に納得感あるんですよね。

まあだから、丁寧な暮らし、というのはコンテンツで、スポーツ観戦した後に、ジョギングに行くかはその人次第、みたいなことなのかなと思いました(結論出ないので、無理矢理終わらせた感あるけどw)。

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