2015/3/18

『先祖と日本人 戦後と災後のフォークロア』 畑中章宏 – 産土神のパトリオティズムと新しい泣きかた

著者の畑中章宏さんの本は以前『災害と妖怪――柳田国男と歩く日本の天変地異』という本を読みました。そう言えば先日、ユレッジで丸山宏さんにインタビューした時に、取材後、少し余談があって、これまでの災害対応に話が及んだ時に、民間伝承から災害と妖怪について考えている本があり、それもまた危機対応のシステムの一部だったのではないか、みたいな話をしました。さて、本書は戦後と災後のフォークロア、の副題の通り、第二次世界大戦時に喪失があった日本、東日本大震災時に喪失があった日本、この2つを相対させながら、民俗学的な見地で論考しています。

先祖と日本人: 戦後と災後のフォークロア
畑中 章宏
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先に今回の感想の種明かしをしてしまうと、先述の丸山さんの取材記事にこういう一節があります。

「インタビュー:システムズ・レジリエンス」 – 丸山 宏 / 統計数理研究所副所長・教授 – ユレッジ : 日本の「揺れやすさ」と地震防災を考えるサイト

実はそのイノベーションという考え方は、むしろエコロジーの世界にあった考えで、森林の生態系は段々繁栄して主要な樹や生物が生えて、それがドミナントになって、その領域全体を同じような生態系が占めて、その人たちが繁栄するわけですよね。ただそれは安定した繁栄をするのだけれども、お互いに依存関係を持った生態系なわけです。それが何かの拍子、例えば火事が起きるとか、何かのウイルスが流行るとかで、どこかの岐路で狂うと、一斉にその複雑になりすぎた生態系が崩れるわけです。それで一気にシステムが破壊されるということが起きます。でもそういう繁栄していた種がいなくなると、そこには無限の可能性がある領域が残るわけです。そこで色々な新しい種が起こる、それがイノベーションなんです。その中で競争があって、生き残ったものが段々繁栄する、そういうサイクルが回るというのが、生態系におけるレジリエンスの考え方です。

つまり、このイノベーションが引き起こされるサイクル、戦後と災後で発生していた可能性があり、あまりそういうことが民俗学みたいな分野で適用されるのか定かではないけど、しかし、何かアップデートされるものがあったとすれば、それはこういうことなのだろうと思います。本書の論点は色々あると思うのだけど、僕は特に故郷、みたいなことに関することが気になりました。

1945年夏の敗戦によって、明治以来の急ぎすぎた国造りは砕け散った。それは人々の暮らしの実情に基づかない、制度の合理性のみを信じすぎた結果に他ならなかった。だがそれでは人と人とのつながり、暮らしが傷つく。それは死者までも犠牲にするだろう。このような明治以降のあり方を反省し、日本人自身の死生観、倫理観とは何かを問わなねばならない。柳田はこう決意していたのだった。

戦争に敗れた日本は、自分自身にも、世界に対してもどのような国家なのか説明しなおさなければならない。自分自身はなにものなのかが分からなければ、世界で起きる事件に対応できないし、説明もまたできない。明治をはるかに超えた伝統こそ手がかりになる、柳田の確信はそこにあった。

この辺り、実は災後も近しいことを語られていたのではないかという気もするのだけれど(ある意味、僕らは繰り言をやっている)、既存のシステムの崩壊って言うのは、アイデンティティ・クライシスを引き起こすのでしょう。その上で、何に立脚するかという時に、人はしばしば時間で積み重ねられてきたものを参照する。

いうまでもなく、ナショナリズムが歴史的・構造的にある一定の意味をおびるのに比べて、パトリオティズムは、しばしばいわれるように、エスノセントリックな原始感情をその母胎としている。ミヘルスのいう「鐘楼のパトリオティズム」はそのシンボリカルな表現であるが、日本風にそれをいいなおせば、「産土神のパトリオティズム」とでもいいうるものであろう。それは、山河の自然、風土の遺制と一体化したロマン主義的な感情であり、ドイツ語でいみじくも、「郷土の痛み」とよばれる奥深い人間の危機感に関わるものであった。

これの具体的なディテールが下記を読むとすごいわかりやすいです。

祖国とは私たちが子どものころに夕暮れまで遊びほうけた路地のことであり、石油ランプの光に柔らかに照らしだされた食卓のほとりのことであり、植民地渡来の品物を商っていたお隣りの店のショーウインドウのことである。私たちがその実のなるのを待ちわびたくるみの樹の生えた庭にこそ祖国はあった。谷川のとある屈曲、庭の裏手の灰色に古びた木戸、ストーブで焙られているりんごのかおり、温かい両親の家にただよっていたコーヒーや料理の匂い、町から郊外へ、郊外から町へと野原を通っていた少路、その少路を歩いた思い出、童歌のメロディ、子供の頃のある夕暮れのざわめき…それらが祖国である。人間にとって祖国とは国家のことではなく、幼年時代のふとした折のなつかしい記憶、希望に満ちて未来を思い描いていた頃の思い出のことである。

だから、ノマド、ノマドと言って来た00年代だったけれど、土着にある幸せ、みたいなものはあるということと、ナショナリズムを軸に人が立てない、という時に、じゃあ何に立脚できるのかというと、やっぱりこういうことなのだろうなあと思うのですよね。どこにリアリティを持ち得るかという。

戦後も災後も、「記憶の伝承」ということはよくいわれた。しかし、理性ではわりきれない、魂の次元を揺さぶられる事態が、大きな戦争や、巨大な自然災害なのではないか。柳田は『先祖の話』で、「生死観を振作せしめる」という言葉を使った。私たちは、「反省の学」を模索するとともに、新しい泣きかたを見つけ出さなければいけないと思うのである。

しかし、だから反省だけでは足りなくて、未来に向かっての設計ということの、ただ、そこに何が在るべきかということを、よくよく考えないといけないのだろうなあと思います。そんな感じがした。

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加藤 康祐 / 企画・設計

1980年1月12日生まれ。フリーランス歴15年。プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。学生時代にデザイン会社でWebデザインを経験。2005年よりフリーランスとしてキャリアスタート。これまでに個人から上場企業まで、100以上のクライアントとのプロジェクトを経験。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの編集・運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート等。趣味はラグビーと料理。Keep the head up, Bind tight & Stay low.

加藤康祐企画設計

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