2015/2/13

何でも屋とゴール・イメージ

割と何回か書いて来たことのような気がしますが、学生時代に代理店の人が言ってて、よく覚えているのは、「何でもできるのは、何もできないのと同じこと」というのがありまして、まあこれは真なのだろうなあと思います。ただ、僕は相変わらず、基本的には何でも屋に近いのだろうなあという気がしていて、あまり問題意識も持ってなくてですね。

ただ、思うに、若い頃というのは、企画ベースで物事を考えた時に、「自分でできないことは、企画できない」って枠組みがあったんですよね。一人で仕事やっていたから。これは僕にとっては大いなるモラトリアムで、例えばこういうサービスあったら面白いとか、こういう会社がこういうことやったら、とか思いつくことはあるわけです。そんなのはちょっと頭を捻れば多分皆持てる感覚で。ただ、企画というのは思いつきではないので、自分の抱えてるリソースで実現可能なことを実行するから企画であって、だからまあ仕事始めた頃の企画って言ったら、言っても、Webの制作のコンセプト作って、構造考えて、SEO対策とか、運用とか考えて、ってくらいが企画だったんだろうなあと思います。

それを別につまらなく思っていたつもりはないんだけれども、企画という文脈においてすごい狭い領域だったことはわかる。

もしかしたら、そういうのがスタートアップでサービスを作るモチベーションになり得る人もいるのかな、とも思うのだけど、僕はそういうのでもなかった。

ところで。

こないだ「ゴール・イメージ」って言葉をふと耳にしまして。僕あまり日常的にそういう言葉使ったことないなと思ったんですけど、最近そのゴール・イメージ、というのが面白いものだなあと。

最近、仕事してて「ああなんかこんな風になればいいなあ」とか「あれこんな風にできるかも知れないな」みたいに夜な夜な考えているようなこと、それはしばしばこのブログに書かれていることが多いのだけど、そういう思いつき、もっと言うと、妄想ですよね。決して「ゴール・イメージ」などというコンクリートなものだと本人も思っていない。そういう類のことが、「ああなんかこれ、あの時考えてたことだなあ」みたいになる機会が増えまして。

これおそらくだから、もう単純に引き取ってるものが増えたからだと思うんですよね。僕のリソースは僕一人であることには代わりはなく、なんだけど、なんか色々な問題を引き取り始めて、色々な人たちと付き合いが増えて、僕自身の課題の幅も広がって、結果、なんか妄想的なことが現実化する機会が身の回りに増えている。

そういうのは何と言うか、まあだから「ゴール・イメージ」なんですよ、多分。ただ、それほどまでに僕は一つの目的に対して、深くコミットしてるわけではなく、何となく、あれもこれもあるよなあみたいな状態で、少しずつ具体化されていくことが増えていく。だから、そのほとんどは周囲の人によることで、ただ、僕の妄想とコンテクストとして繋がっているものってのは、そこになんか僕のロールがあるんですよね。

思ってみれば、ここ数年、そういう「ちょっと僕のスケールから逸脱したこと」ってのはボチボチあって、そういうのもとどのつまりそういうことなんだろうなあと思います。なんか、多額の出資とか、充実したファシリティとか、優秀なスタッフとか、充実した福利厚生、とかなくても、たまに「ちょっと僕のスケールから逸脱したこと」って起こり得る。

そういう時に、あ、これそういやあの時の話だなあ、みたいなことが手元にあったことに気付くと、面白いなあと思うわけです。

なんかだから、何でも屋ということの意味が変わって来たのかなあと思うんですよね。

前半は、何でもできるを目指していた「できることを増やす」のフェイズ。

後半は、問題を解決できるを目指す「対応できる問題を増やす」のフェイズ。

なんかこれからスキルセットの種類を増やしていくってことは勿論あるかも知れないけど、問題との接地面の多様性を、「Web制作の仕事は色々なクライアントと付き合える」の先のハードルとして睨んでいかんといけないのかなと思いました。ET自体は品質とか性格とかいう意味で、その意味性は収斂されていくべきで、それはある意味では本来的なブランディングということの意味に近いと思うのだけど、だから手持ちの妄想をゴールイメージみたいなものにするには、改めて仕事の問題解決の練度を接地面の多様性に活かしていく、みたいなことなんだろうなあと思いました。

少しずつ、そういうダイナミズムも身体に覚えていきたいなあと思っているところ。

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