2015/1/16

『人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学』 – 予知できれば対処できるか? – 災害文化の醸成について

昨日見つけて、今日届いて、さっき読みました。とても興味がありました。災害心理学というという分野があるのは朧気ながら知っていたのですが、本などで読むのは初めてのことでした。名前の通り、災害に関する心理学だけど、僕らが心理学と聞いて連想する、災害時の個人の心理学、に加えて、もう少し社会心理学的なこと、あと本書は2004年、阪神淡路大震災以降、東日本大震災以前に書かれた本ですが、災害からの復興、復旧などのことへも言及があります。心理学に軸足があるというより、特に僕らにとっては災害に軸足がある、という本として読めます。

人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学 (集英社新書)
広瀬 弘忠
集英社
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冒頭に出てくるのが「正常性バイアス」ということについて。できるだけ正常を保とうとする。よく有事の際には「パニックにならぬよう落ち着いて行動しましょう」と何となく教えられてきた気がしますし、混乱を避けるためできるだけ軽微に一般のお客さんには伝えようとする客室乗務員、なんていうのも映画の1シーンとして想像できると思います。

しかしながら、実際に災害時にパニックが起こるというのは「まれ」で(起こらないわけではないし、それによる被害がないわけではない)、むしろ、「有事である」という状況の理解の遅れが、結果、行動の遅れを生み、助かるものが助からなくなるということがしばしばであるということでした。本書が書かれた当時になかったわかりやすいもので言えば「ゆれくるコール」がありますよね。

ただ、ゆれくるもそうなのだけど、地震も含め、予知できればそれに対処できるかというと、それもまた微妙な問いなのかなあと思います。地震は地震だけど、実際にそれを受けて、何が起こるかわからないし、その後、地域が、コミュニティが、社会がどうなるかはわからない。ただ本書では災害の現場、のみならず、その後の回復や、支援のこと、復興や、これは児玉龍彦さんにユレッジでお話いただいたことでもあるけれど、クライシス・レスポンス(そういう言葉が使われているわけではないです)によるイノベーション、ないし変革についても語られていました。防災道具を揃えるのと同じくらい、この本を読んでおくことは、言わば災害心理のロジカルな追体験で、ノウハウみたいなことは別に、これを読んだことがあるかどうかで、人の行動って変わるかもしれない、という恐れを伴った感想も持ちました。

また本書ではPTSDについての記述もあったのだけれど、そもそもPTSDについて研究が進んだのはベトナム戦争の退役軍人が深刻なPTSDに悩まされたこと、アメリカの防災も元々は冷戦時のソ連からの攻撃に備えて考えられ徐々に戦争色が薄らいで災害対応に変容したということ、阪神淡路大震災の時はボランティア元年と言われたくさんのボランティアが現場に入ったが結果的にそれにより病む人も少なくなくそのサポートが必要という認識が生まれたこと、仮設住宅ではそこで暮らす人達の心理状態の研究も行われたこと、など災害をきっかけにこの分野が少しずつ「災害の現場」だけでなく、そこから派生するものに、その対象を広げてきたことも書かれていました。ユレッジに僧侶の松下弓月さんに寄稿いただいていますが、震災後、松下さんからうかがったのは、被災地の僧侶がたくさんの人の話や相談を言わば「駆け込み寺」として聞くにつれ、精神的につらい状況に追い込まれていることが状況としてあり、それを宗派を超えてサポートするようなネットワークも仏教界に整っていないという話をうかがいました。これはかなり阪神淡路大震災の時のボランティアの話に近しいように読めました。

また、副題につけた「災害文化」という言葉は、本書で語られている言葉なのですが、これおそらくユレッジでやろうとしていることに近しく、つまり「災害」というものを対象にした時に、それぞれの学術的、ないし、職能的、専門分野を跨ぐ、ないし収斂された何がしかが必要で、それって「文化」なのだろうと思います。一方で、これもまた本書での重要なトピックでありますが、「防災の投資は成果の見えにくい投資」であると。よく僕は東洋医学と西洋医学、予防療法と対処療法がある、という言い方をするけれども、災害のあと、それこそ風化を伴い、一時高まった防災への機運や関心や危機意識は年月を経ることで凪の状態になる。ある意味での有事からの「正常性バイアス」が働く。そういう中で次世代に防災文化を繋げていくにはどうすれば良いのか。そのことはやはり中長期的に防災に携わってる方の指摘の通り、この分野の難しいところなのだろうと思います。

この間レビューした『災害と妖怪――柳田国男と歩く日本の天変地異』とは随分距離がありそうだけれども、そんなことはなくて、本書のエピローグに、「天」と「人為」の狭間に生きる人間として、ということでこのようなエピソードが書かれていました。

2つの災害観を並べてみよう。まず、「天誅説」と呼ぶことのできる考え方である。人びとが犯す人倫に反した悪徳や頽廃に対して、天は災害を下して罰するという見かたである。キリスト教の旧約聖書では、古代都市のソドムとゴモラは、神の怒りにふれて天上からの業火によって滅亡したとされているし、ギリシャ神話の全能の神ゼウスは、天空を戦車で疾駆して、雷を発して悪を倒すと信じられていた。

もう一つの考え方は災害とは、点が人びとにその非を知らしめるメッセージだとする災害感である。これを「天譴説」と呼ぶ。人びとが悪行をあらため、正直に戻れば、点もこれを認めて災害を止めると信じられていたのである。

これらの考えかたに共通するのは、”天為”と”人為”の相関である。天誅説も天譴説もそれ自体は荒唐無稽だが、環境と人間との関係に災害の起源を求めるというのは間違いではない。災害は、自然環境中にある災害因と、私たちの側の脆弱性とが結びついたところで発生する。災害は、人間自体の行為の結果が自らにかえってくるプロセスである。自然災害にしても感染症の流行にしてもあるいは人為災害にしても、神ならぬ身である私たちが生きている限り、各種災害の被災はさけられない。そうであるならば、できうる限り災害を制御しながら、災害とともに生きていく覚悟が必要だろう。災害を所与の条件と考えて生きていくのが、賢明な生き方ではないか。

あれは天災、これは人災、という話ではなく「”天為”と”人為”の相関」に災害というのはあるのだと捉えるのは、これまで見て来た事実と照らし合わせても適切な理解だと思うし、そうであるからこそ、災害前、災害、災害後の、「自分自身」を省みることにも繋がるのだろうと思います。問題は自分のところに引き込んでこないことには、自分で解決できない、そういうことを改めて考えさせられる捉え方だと感じました。

後半少し抽象的になってましたが、例えば、都心の高層ビルから避難までにあったこと、メディアを通じて被災の現実を知ったこと、家までの交通機関が麻痺したなか帰ったこと、それから5年が経とうとする今を「災害心理学」の視点から、整理し直す、という意味でも、今でも尚、十分に読む価値のある本だと感じました。良い本です。

ひとり仕事: フリーランスという働き方
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