2014/10/17

カラン、という音

昨日、祖母の葬儀を無事終えました。祖母が他界してからおよそ1週間のことになります。関係各位に色々ご迷惑をおかけすることとなりましたが、本日より平常運転しております。昨晩はどうやらずっと続いていた緊張も幾分ほぐれたようで、泥のように寝ていました。

夜な夜な考えていたのだけれど、祖母とは数えてみれば人生の2/3は同居していた。少し変わっているかも知れない。僕が戸塚に引っ越してきたのが小学1年の時、アメリカにいた高校時代を抜かすと、実家を出た最後の2年を除いては、ずっと文字通り、一つ屋根の下に一緒に住んでいました。

ただ何かを一緒にするのは昼ごはんをとるくらいだった気がします。もしかすると僕の怪しいカレーを一番食べたのは祖母かも知れないし、よくドミノ・ピザを頼んで、僕は6枚、祖母は2枚を食べていた。家で仕事していることが多かったから、僕は家にいることが多かったので、自然とそうなりました。夜はほぼ毎晩出かけていた。

祖母が大腿骨骨折をした時に、自分の部屋で動けなくなってるのを見つけたのも僕だった。外出先で骨折をし、部屋に戻り、そのまま動けず、声も出せず、助けも求めず、僕が見つけた、というのは今思うと何か少し異様だったと思う。脳裏に焼きつく、という言葉があるけれど、その時のことは今でも鮮明に思い出せる。

その入院を転機としてか、色々なことがありました。本当に色々なことがあった。

祖母が亡くなった日に少し友人と話していて、「これからが大変だと思うので」と言われて、咄嗟に「今日という日を迎えるまでが全力だった」と言葉を返したけれど、それが正直なところだろうと思います。祖母は年を重ねるにつれ、表情が穏やかになっていき、肌艶が良くなり、顔色が健康的になっていくように見えました。デイケアの習字で書いて来た四字熟語を、家族一同で話のタネにした正月は、なかなか幸せだったと思う。

僕が最後に祖母に会ったのは亡くなる前日、もう呼吸器をつけていて、話せる状態ではなく、呼吸は荒く、体力的にも辛そうでした。翌朝、張り付いていた父と、出社前に見舞いに訪れていた弟が臨終に立ち会ったそうで、遅れて知った僕は、病院には行かず、実家に戻り、祖母の部屋へ、遺体を迎え入れたのが、亡くなった祖母との対面になりました。

祖父が亡くなったのはもう17年も前のことで、アメリカから急いで通夜の夜に帰国し、僕が立ち会えたのは告別式のみで、当時の記憶は父の挨拶以外ほとんど覚えていなかったけれど、今回、火葬場で、その時のことをいつか見た光景としてようやく思い出しました。祖父と祖母には同じ場所で、告別をすることになりました。空は晴れていた。

人は、およそ一人で背負えない、多くのものを背負いながら歳を重ねていくのだと思います。一方で、人は、それまでに背負ってきたものを一つ一つ地に降ろしながら、老いていくのだとも思います。尊厳とか、自由とか、言葉は色々あるけれど、人の幸せとはなんだろうと考えていく中で、最期の祖母は、その身が幾分軽かったのではなかろうか、と思います。それは、幾分を父が背負い、幾分を母が背負い、幾分を親族で支え、幾分を地に降ろしたのだと思います。

今、心は弛緩し、秋の爽やかな空気とともに、ゆっくりいつもの時間が過ぎてゆくけれど、祖母の骨が奏でた音を覚えている。折を見て、また手を合わせに行こうと思います。とても良い遺影なのだ。

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加藤 康祐 / 企画・設計

1980年1月12日生まれ。フリーランス歴15年。プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。学生時代にデザイン会社でWebデザインを経験。2005年よりフリーランスとしてキャリアスタート。これまでに個人から上場企業まで、100以上のクライアントとのプロジェクトを経験。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの編集・運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート等。趣味はラグビーと料理。Keep the head up, Bind tight & Stay low.

加藤康祐企画設計

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