2007/3/7

ヒトの進化とヒトの退化

昨年は梅田望夫氏の『ウェブ進化論』がベストセラーになり、僕自身もユーザ進化論という記事を書きました。「進化」という言葉をよく目にする年だったように思います。一方で、そのアンチテーゼとして、ネットが人を退化させるというような文化論を目にする機会も増えました。

このブログを通じて3月24日の「SHUTDOWN DAY」にちなんだワークショップへのお誘いを受けましたので、ちょうどいい機会だと思い、ITによってヒトは進化したのか、それとも退化したのか、ワークショップの予習をしておこうと思います。

僕の学生時代のボスは「休肝日」ならぬ「休眼日」を設定しておりまして、週に一度の「休眼日」には一日モニターを見ないで過ごすことにしていたそうです。僕はと言えば、なかなかそういうわけにはいかず、とは言えパソコンに制御される自分は嫌だなあという気持ちがあり、旅行に行く時はPCは持って行かないことに決めています。

PCあると旅行記とかに便利なのかも知れませんが、そこまで便利に固執する理由もないですし、思い出をブログに残すのは帰って来てからで十分事足りますし、写真を見ながらその時々を思い起こし文章をしたためる作業というのは旅行帰りの一番素敵な時間のようにも思います。旅先で仕事に束縛されるのも侘しいものがありますし。

ただ、このことはパソコンを持って行かなければ仕事にならない、ということに他ならないんですよね。

僕は企画書を書く時に、PowerPointと睨めっこするなと習いました。同様に、デザインをする時に、IllustratorやPhotoshopと睨めっこするなとも習いました。僕は画才はないですが、それでも手で書いて紙に落とし込むということの重要性は知っています。パソコンのない時代に仕事をしていた人、ないし、パソコンができた当初の計算しかできない箱だった時代を知っている人、というのはパソコンに頼らずにアイデアを出力し人に伝える術を知っていました。今の時代の企画人に、かつての時代の企画人の表現スペックはあるでしょうか。

僕はきっと狭間の世代で、中学生までは手書きでレポートを書き、高校生からはパソコンでレポートを書いていました。モノを書くという原体験は手書きの世界ですが、書いたモノの質を問われたのはデジタルの世界だった、という感じです。勿論、例えば建築やら設計やらで手に取れる「モノ」を作る勉強をしていた人たちは、自分の手を動かして学ぶことを自ずと学ぶわけですが、残念ながら総合政策学部なんて文系の学部にいた僕はそうではなかったわけです。

そういう人たちは十分に「パソコンバカ」になり得る環境にいることになると思います。パソコンがないとモノを考えられない、パソコンがないとモノを表現できない、パソコンがないとモノを伝えられない、という人間にはなってはいけないのだと思います。パソコンはあくまで道具であり、その道具がない不便はあるにしても、人間は本来自分自身の体を使えば何だってできるように出来てますから、道具に制御されちゃいけないし、道具に支配されちゃいけないし、道具に依存する人間になっちゃいけない。

以前、後輩にこんな愚痴をもらいました。「学生時代はIllustratorを使っていたのに、会社に入ってPowerPointを使わなくちゃいけない、思い通りのものが書けない」と。まあ、ソフトウェアの慣れには時間がかかって、それまでは表現力にストレスがかかるのは避けられないわけですが、どういう道具を使うにしても、自分の思い通りのメッセージが伝わればいいわけで、使うソフトウェアでその人のクリエイティビティが束縛されるようではいけないと思います。

とは言え、先述したように僕の仕事はパソコンがないと「始まり」はしても「終わり」はしないわけです。「通信」ということがパソコンベースで行われている限り、そして僕がコミュニケーションの仕事を生業としている限り、最早この束縛からは逃れられません。そして個人が自宅にいながら、もしくは移動先で、仕事ができるということは紛れもなくパソコンや携帯やインターネットのおかげです。

ですから肝心なのは「パソコンによる退化」ということに常に注意を払いつつ、「パソコンによる進化」の恩恵を受けれるよう、冷静にパソコンを道具として扱い制御するということなのではないでしょうかね。『攻殻機動隊』の世界になるとまた別ですが、それはそれで自分と道具の切り分けができなくなって、生理的にどうなんだろうとも思います。

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