2014/8/20

郊外で働き、郊外で暮らす – 都会でも地方でもないもの

以前、書いた「東京 > 横浜 > 東戸塚 – 都市と距離と尺度を見渡す」という話が割と好評だったのと、なんかうまく話をまとめられないかなあと思うことがあって、最近整理できてきたので、少し書いてみようと思います。もしかしたらこういうことを整理しようと思ったきっかけは例の「まだ東京で消耗してるの?」という話かも知れない。

さて、僕生まれは一応東京の方南町というところですが、小学1年生になると東戸塚に引っ越して来ました。小学6年生までは地元の小学校に通います。駅から実家までは30分ほどあり、まだ東戸塚の駅前もあまり開発が進んでない頃で、特に駅に行く用事がなく、学校と実家とスイミングスクールと、たまに自転車で友達の家へ、という感じ。買い物とかもロードサイド、とは言え、今みたいに何でもあったわけじゃなくて、外食も坂を下ったロイヤルホストか峰本(比較的外食は少ない家だったと思う)、たまあに横浜や東京には行くこともあれど、本当にたまに、みたいな感じでした。中学になると日吉の学校に通うようになって満員電車に乗るんだけど(日常的に満員電車に乗ってたのは人生でこの中学時代だけですね)、バスケして電車で帰って駅から自転車、横浜たまに行くくらい、という感じ。まあバスケで忙しかった。

中学3年時分は八王子の祖父母の家にご厄介に。日吉の学校は変わらなかったので、菊名乗り換え横浜線。当時まだ今ほど立川も開けておらず、町田で降りることもあまりなく、ほとんどバスケ以外は八王子にいた気がします。運動やってると、あんまり週末友達と何か、って感じでもないですしね。八王子、東京ですがご存知の通り、東京の端にあるので、分類的には郊外だと思います。中央線乗るようなことは、たまに東京に住む友達の家に行く以外は、やはりほとんどなかったんじゃないかな。バスケ引退して、逆にやることなくて困りましたが、結局後輩の練習に普通に行っていた気がする。

高校はニューヨークに行ったのですが、マンハッタンを都会とすると、Westchesterというこれまた郊外。ちょうど距離感的にはニューヨークの東戸塚みたいな感じで、マンハッタンから電車で40分くらいのところでした。閑静な住宅街で、というか割と高級住宅街で、東戸塚の家とは大分違ったのだけど、距離感的には同じくらい。日本いたよりむしろ行動半径狭くて、車もちょっとしか運転しておらず、3年時は寮でしたが、学校もWestchesterにあり、週末にManhattan行くのも数えるほどだった気がします。ちょうど、White Plainsという距離感で言うと横浜的な街があって、まあそこくらいか、買い物に出ていたのは。自宅、寮生活含めて郊外居住だった感じはすごくします。

さて、帰って来ました。大学、湘南台に行くことにしたので、東戸塚から通いました。最初は藤沢経由、途中から横浜市営地下鉄が家の裏手から湘南台に通ったので一本。学校行ってラグビーするだけなら横浜出ずとも完結する状態。ただし、すぐ先輩の仕事を手伝い始めたので状況はちょっと変わります。よく行ってたのは自由が丘で、クライアントとの打ち合わせも連れて行っていただいたし、色々美味いもの食わせてもらったりもしていたので、渋谷、青山、新宿辺りはうろちょろするようになり。広告代理店とかITとかゲームとかメーカーとかVCも行ったな。色々行ったので、この時が一番都会での時間が分厚かったかも知れないです。ただ、住んでたのは東戸塚。この頃からですよね、ようやく東京に行って、少し東京を知るようになったの。あとよく横浜で遊んでた。

で、諸般の事情により、実家で卒業後仕事するようになり、実家を出た今も東戸塚にいるわけです。たまになぜに、と聞かれるんですけど、つまり、振り返ってみると、郊外にしか住んだことないわけです。で、ライフステージ、例えば郊外に住んでいても、大学は都心へ、とか、就職して新卒は都心へ、とかあるとおもうのですが、冷静に棚卸すると、そういうタイミングでも都心に出る機会なかったんですよね。加えて独立してすぐの頃は鎌倉の仕事にも大分お世話になっていて、これはちょっと都心で僕が学生時代に経験した仕事とも違うわけです。ただそれが、僕がより遠方の仕事も割と早い段階で柔軟に取り組めた礎にもなってたりして。

ちょっと昔語りが長くなってしまいましたが、ようは都会で働いたことも都会で暮らしたことも実はなく、地方で働いたことも地方で暮らしたことも実はなく、ひたすらに郊外にいて、郊外で働いて、郊外で暮らしている、この人生、ということを今更ながらに再確認しているところ。だから、都会にも引っ張られる分、同じくらい、地方にも引っ張られるんですよね、ポジショニング的には。で、結局どっちにも拠点は移さず、必要に応じて動きまわってるだけという。逆に言うと、都会から地方へという斥力も、地方から都会へという引力も、あまり働かない場所にいる。

だから例えば冷静に自分の高校大学の同級生とか見渡しても、ずっと郊外で働いて郊外で暮らして、って人ほとんどいないですよね(いなくはない)。今、東戸塚ってすごい栄えていて、横浜でも指折りの人口密集地ということだそうなのだけど、そもそも今人が増えた駅前は、そんなに開発されていなくて、つまり引っ越してこられた方で一気に人が(特に子育て中くらいのご家族が)増えた感じで、そのうちの相当数が普段は横浜や東京で仕事をしているのだろうと思います(歴然とわかるのは横須賀線のホームが人が溢れんばかりに混む)。

まあここからは体験の外だけど、例えば多摩ニュータウンがさびれてしまったのって、ようは郊外居住って必ずしも定住なようでそうじゃないわけですよね、世代交代があると。東戸塚だって、40〜50年前に引っ越してきたようなうちの祖父母世代に家を建てた人達は、今、家建て替えたりしして、60過ぎてご夫婦で暮らしていて、みたいなところも多いわけです。ただ、郊外って基本的には住むにはそこそこ良い環境で(だから郊外に住宅を持つわけで)、都会に出ていく要請や、地方に引っ越す必要が出てこなければ、別に郊外という距離感に居続ける、というのもあり得るんだなあと自分見てて思いました。仮住まいの借家だけど。

ただ、少なくとも、今、あまり働くとか暮らすとかの文脈で話題に上がらない、郊外に自分は最適化されているな割と、というのは認識として持っておきたいのと、次動く時にはどっちに振れるのかみたいなことも含め、まあなんかそう考えると予想つく気もするんですけど。東京好きとか嫌いとかの前に、ほとんど都会に根がないんですよね、地方にもだけど。郊外だよなあ、長らく、ほんと。

加藤 康祐 / 企画・設計

プランナー、デザイナー。加藤康祐企画設計代表。Webデザインを入り口に、2005年よりフリーランスとしてのキャリアスタート。主な仕事としてベンチャー企業でのサービスのUXデザイン、独法との防災メディアの運営、社会的養護の子どもたちの自立を支援するNPOのサポート。ラグビーと料理、最近イラスト。

加藤康祐企画設計

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